1.黒ファイ演繹 1-5 やさしい王子様の庭
少し涼しくなってきた夕刻にファイが庭の花に水をやっていると、大家の老婆がやってきた。
低いツツジの生垣から顔をのぞかせてにっこり笑っている。
ファイもつられて笑顔になった。
(いらっしゃい、どうぞよっていってください。)
ファイは知り合って間もない頃から大家の老婆のことを慕っていた。
急いで冷たいお茶とわらびもちを用意すると二人で縁側に並んで座った。
このところ、とても暑い日が続いている。
ファイには少ししんどい温度だ。
大家は両手を合わせてからお茶を飲み、優しい目で庭の花を眺めた。
よく手入れされた庭の片隅では、朝顔が添え木に沿って弦を伸ばしている。
近いうちにたくさんのつぼみを付けるだろう。
「これは咲くのが楽しみだねぇ。」
ファイも頷いて笑う。
大家は人差し指を一本立ててファイの目を覗き込んだ。
「今日はファイさんひとりなのかしら?」
ファイは大家の言わんとすることをすぐに理解して頷いた。
眉間にしわをよせて剣を構えるふりをしてから城のほうを指差した。
(黒鋼は剣術のお稽古にいっています。)
大家はファイの様子を見て楽しそうに笑うと言った。
「そうなのね。でも、あんまり一人で家の中にいるのは良くないわ。
今度うちに遊びにいらっしゃい。そうね、新月の夜がいいわ。」
大家は自分の胸に手をあてて一方の手でファイの手を引いた。
ファイは急に触れられて少し驚いてしまう。
「あら、ごめんなさいね。このことはお城であったら黒鋼さん
にも伝えておくわ。では、御馳走様。」
大家は手を合わせるとやさしい花の香りを残して帰って行った。
ファイは、触れられて驚いてしまったことを申し訳なく思った。
大家のもうひとつの顔は夜叉王付きの占い師で、夜叉城でもその姿を数回見かけたことがある。
穏やかで優しい老婆が強い魔力を持っていることをファイは知っていた。
でもその力は完全にコントロールされていて、どんな力なのかまでは分らない。
さっきは自分の家に遊びに来るように言ってくれたようだけれど。
(そうだね、大家さんの家にも行ってみたいし、たまには一人で出かけてみよう。黒様は最近忙しそうだしね。)
夜魔ノ国に来てからの数か月、ファイは不安で仕方がなかった。
(ここで旅の再開を待っている間のオレはまるで子供みたいだ。)
この国で暮らし始めて間もなく、紅と蒼の瞳は、夜叉族と同じ闇色に変わり、魔術師は魔力の源を失った。
そして、ここには守るべき民も、砂漠の姫もいない。言葉もない。
交渉事の一切を黒鋼に頼るしかないファイには何の責任もなかった。
ファイは頬杖をついて小さなため息をつく。
出来ることと言ったら花の世話や鳥の世話くらいか。
(それから黒様の世話だね。一番世話が焼けるよ〜。)
黒鋼は空腹になると機嫌が悪くなるし意外ときれい好きだった。
忍者のことを思うと無意識に笑みが浮かんだ。
(最近は剣術の先生をやっているみたいだけど意外と面倒見がいいから
あっているんじゃないかなぁ。)
―――初めて会った時は雨が降っていた。
自分とは全く背景が違う、縁遠い男だと思った。
この時の黒鋼から感じたむせかえるほどの血の匂いは最近では次第に薄れてほとんど感じなくなった。
彼本来の気は真っ直ぐで清々しいものだろうと予想できる。
そうでなければ破魔の力は授からない。
黒鋼にどんな過去があったかは知らないが、ファイには解っていた。
黒鋼は過去に、闇に落ちている。
彼の心は強すぎて、闇を引きずったままでも守るべきもののために生きられる。
もはや自分がなくしてしまった心の強さをうらやましく思いつつも、強さだけを求める生き方は、時々痛々しく感じられた。
ファイは戦っているときに黒鋼から感じる強力な守と、それを授けたであろう日本国の姫の事を思う。
黒鋼が一生涯仕え、守り抜くと誓う君主。
きっと彼女も忍者を大切に想い、本来の力を取り戻してほしいと願っているはずだ。
だから月の城では自分も彼を助けようと思う。
たとえ自分たちが相反する存在であっても、黒鋼にはむやみに返り血を浴びてほしくないと思う。
( 戦場でのオレはの気持は本当だ。いつか君を裏切る未来のことなんて考える余裕はないもの。)
ファイは縁側をかたずけると残りの水をやりに庭に出た。
そろそろ戦に出る準備をしなくてはならない。
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