3.黒ファイ演繹 3-9 想いの螺旋


月の城での戦が始まる。

辺りが闇に包まれる頃、阿修羅城の周りでは紅と金の旗が揺らめく。

緋炎を脇に差して装備を整えた小狼は、四足の竜に乗り、阿修羅王の隣でその時を待った。

王の傍らにはいつものように倶摩羅が控えている。



サクラはモコナを抱いて一行の出陣を見守った。

(どうか無事で。)

空を見上げれば、たなびく雲間に浮かぶ月の城は不穏な地響きを上げている。


何かできることは無いだろうかと考えたが、自分には無事を祈って待つことしかできない。

羽根を探して月の城に出向く小狼のために、そして心の美しい王のために。

言いようのない胸騒ぎに胸を締めつけられて、同じように心配顔のモコナを抱きしめた。

するとモコナが言った。

「サクラ 昨日の楽器を 聴かせて。」



*********************

宵の空に月が昇り、出陣の時を迎えた。

高まる緊張と興奮。

「・・・・そろそろ決着をつけよう。」

阿修羅王は月の城を見上げて静かに言った。


修羅の国の視界が崩れ、一瞬の浮遊感の後に周囲の景色は月の城の戦場に入れ替わる。


乾いた風が煽る血の匂いと断末魔の叫び。

小狼はにとって戦場は初めてだった。

黒い夜叉族の戦士が切りかかってくるところをぎりぎりのところでかわす。

傷ついてのたうちまわる戦士を踏みつけるように止めを刺す阿修羅族の戦士。

そこには歌と踊りを愛する美しい部族の面影は見られない。

それでも小狼は恐れてなどいられなかった。

何としてもこの城のどこかにあるサクラの羽根を手に入れなければならない。

それから黒鋼とファイらしき人物をもう一度探さなければ・・

と、その時、戦況が目まぐるしく変わる騒がしい方向に目を遣ると、早速黒鋼とファイの姿を見つけた。

最前線にいる二人が、砂埃と喧騒を巻き込んでこちらに切り込んでくるのが見える。

金色の残光を残して戦場を駆けるファイが次々に放つ魔法の矢に討たれて倒れる赤と金の戦士。

それをかいくぐって立ち向かうものは、一部の無駄もなく流れる蒼氷の太刀に迎え撃たれ、音もなく崩れていった。

二人は攻守をかねてひと組だった。

二人が鮮やかに切り崩した堤防から襲いかかる黒い波のような戦士たちが阿修羅王の陣営の近くまで流れ込む。

黒鋼とファイが闘う姿はそこだけ別次元で、まるで水を統べる演舞のように見えた。

それは、不殺を貫いて闘う二人がたどり着いた最終形態。

戦況を自在に塗り替える圧倒的な強さだった。

また別の方向からも、頬に向い傷のある戦士が率いる夜叉族の一群が攻め込んで来ており、戦況は阿修羅族に不利に見えた。



小狼が目を奪われたのはほんの一瞬だったはずなのにあっという間に攻撃の波が迫る。

目が合ったと意識した瞬間に蒼氷を持った黒鋼が方向を変えて、小狼目がけて突っ込んできた。

ゆらと長剣の切っ先が揺れたと思った時には、すさまじい衝撃を受けて小狼は吹っ飛んだ。

なんとか態勢を整えて着地したものの、肩先の防具は砕け散った。

「よう小僧。」

黒鋼らしき剣士の言葉は小狼に通じた。

その瞳は黒かったが、低く響く声も威圧感たっぷりの不敵な笑みも黒鋼そのもののように思えた。

「黒鋼さ・・」

しかし黒い剣士は言葉を待つことなく蒼氷を横になぎ払った。

「閃竜・飛光撃!」

鋭い剣劇をぎりぎりのところでかわした小狼は混乱しながらも緋炎を抜いて間合いを取った。

もう一人の姿を探すと、真っ黒の瞳のファイは黒鋼を護るためだけに辺りを警戒している。

(ファイさんじゃないのか・・?)

表情の読めない微笑を浮かべたファイの様子は小狼をなおさら不安にさせた。

「どこ見てやがる 集中しろ。」

黒鋼によく似た人物は手綱をファイらしき人物に投げ渡すと、ひと跳びで間合いを詰めた。

先ほど見せていたものとは違う、何もかもたたき壊して蹂躪するかのような太刀を浴びて、必死で受け止める。

「殺すつもりで斬り返してこい ガキ。」

切り返そうにも力に圧倒されて、出来ない。

「お前の力はそんなもんか?」

立て続けに浴びせられる鋭く重い太刀を受けかわすことで精一杯の小狼は後退する一方だった。

その間にも敵はひっきりなしに煽ってくる。おそらく力の半分も出していない。

(戦場でこの人に捕まるなんて・・でも、ここで終わるわけにはいかない!!)

しかし常に自分の意識の先を流れる太刀筋に隙はなく、懐が深い。

この間合いから討つことは不可能だと思った。

蒼氷と緋炎の刃が交差した時、黒鋼が言った。

「お前が生きるための剣を見せてみろ」

小狼はぐいと押された力を横に受け流すと敵に向って突っ込んだ。

一か八かの賭け。

黒鋼の肩先を踏み台にして垂直に飛び上り、振り向きざまに炎の剣戟を叩きつける。

辺りを包む激しい炎。

しかし小狼が放った渾身の一撃は、無情にも蒼氷の一閃に振り払われてしまった。

黒鋼もどきは口元に非情な笑みを浮かべる。

「まあまあだが・・まだ甘い」

すでに次の攻撃の溜めに入っている敵の懐で長剣が発光した。

「昇竜閃!!」

( 殺 さ れ る )

その時、横から飛んできた火柱が先に小狼を弾き飛ばした。

脇腹をおさえながら何とか着地した小狼が態勢を整えると、今しがた炎を放った長剣をぴたりとこちらに向けた阿修羅王と目が合った。

「配下を助けるなんざらしくねぇな。阿修羅王。」

黒鋼らしき人物は面白くない顔で阿修羅王を睨んでいたが、いつの間にか獰猛な笑みを浮かべて身構えた。

結局誰でもいいらしい。

呆然とする小狼。さらに無表情になるファイ。



王と剣士の間に張りつめた空気が流れた矢先、突然阿修羅王が全身から凄まじい殺気を放った。

辺りの空気が痺れるのを感じた黒鋼は本能的に間合いを取る。

炎の王の視線の先に現われたのは夜闇の王。

夜叉王の登場を見止めた黒鋼は外套を翻して後ろに跳び、ファイが騎乗する竜の背中に降りた。





張り詰めた空気の中、殺気を帯びた阿修羅王に複数の夜叉族の戦士が襲いかかる。

鋭い修羅刀の一振りで周囲の空間と一緒に切り裂かれた黒い戦士達が人形のように舞い上がった。

王の周りでゆらゆら揺れる幻光は、恐ろしく冷たい金色の瞳と同じ色をしていた。

阿修羅王が竜から飛び降りると、夜叉族の戦士はその行く手を阻もうとさらに束になって切りかかる。

それを露を払うごとく斬り倒して真っすぐ歩く王の前には道ができた。

覚悟を決めた阿修羅王は、月を背にして崖の上に立つ黒い影を振り仰ぐ。

その姿は漆黒の闇の中だけに現われる幻――。



ひらりと跳躍して長剣を構えた阿修羅王の姿は、月が作る影になった。

「夜叉王 決着をつけよう」

冷たい金の瞳の周りで鬼火が揺れる。

「私は 己の願いを 叶える」

鋭く踏み込んだ炎の王が夜闇の王の懐に飛び込むと、月光の舞台で二人の王の影が重なった。



争う二つの部族は息をのんでその情景を見上げていた。

阿修羅王の周りで揺らめく金色の幻光だけが時に流される。




" 阿修羅 "

夜叉王は己の躰を貫く炎の刃ごと阿修羅王を抱きとめた。

腕の中で身を起こした阿修羅王は想い人の頬に触れる。

その頬にぬくもりは、無い。

すると夜叉王の顔に右目をふさぐ大きな傷跡が現れた。

「・・私がつけた傷だな。」

傷跡をなぞる阿修羅王の表情が切なげに変わる。

その時にこそ、もはや時間が無いことに気づいたはずであったのに。

夜叉王は答える代りにその手を取って指先に口づけた。

阿修羅王は、慈しむように穏やかな漆黒の瞳を覗き込む。

「この命が続く限り私は罪を重ねつづける。だが、そなたの黒い瞳に逢うとなぜか・・」

阿修羅王の唇が、夜叉王の傷跡に触れたとき二人の姿は光に包まれた。

" 人を想う心を思い出す "



夜叉王の姿は光の粒子になって、天に舞い上がり、消えた。



阿修羅王の腕の中に残された夜叉王の服の中から光る羽が現われた。

二人の王はずいぶん前に別れをしたはずだった。

それでも変わらぬもの、失いえぬもの――。

夜魔刀を抱きしめて崩れる阿修羅王の上に羽の光が降り注いだ。




羅刹は鎖鎌を握りしめてその様子を見守っていた。

阿修羅王の頭上に浮かぶ不思議な羽が兄の影身を見せていたことを知る。

夜叉王は阿修羅王の手で消されることを望んでいたが、羅刹は敵王を自分の手で殺す機会を狙っていた。

戦況は常に有利であったし、たとえ幻であろうと一族の命を数多奪ってきた敵王に消される兄の姿は見たくないと思っていた。

阿修羅王は、子供の頃の羅刹が初めて月の城に参戦した時には既に阿修羅族の王だった。

闘神と言われる耶摩と唯一同等に剣を交える幼い敵王は、無邪気に殺戮を楽しんでいるように見えた。

金色の幻光を纏う姿は禍々しく、部族の宿怨を煽り立てた。

しかし今、胸に去来するのはやるせなさしかない。

互いの部族の願いのために月の城で殺し合う運命にあった二人の悲恋。

家族の縁に恵まれず若くして王となり、誰よりも国を民を想い戦ってきたのは、阿修羅王も同じであったのかもしれない。

羅刹は兄に夜叉の名と夜魔刀を継いで欲しい一心で国を出たが、その結果、兄一人の肩に重責を負わせたまま失ってしまった。

(たった一人の兄弟であったのに。)

言いようのないくやしさにこぶしを握りしめると、横から視線を感じた。

月の城のすべてが阿修羅王の挙動に注目している中で、ファイだけがほんやりこちらを見ていることに気づいた。

羅刹にとってのファイは銀杏の木の上の変人で、黒鋼が取り憑かれている物の怪だった。

口をきけない彼が考えていることはよく分からないが、いつだって弓の名手の視界が広かったことを思い出す。

ファイは羅刹を気遣う優しげなまなざしを向けてから、すっと前に向きなおった。

それにならって再び崖の上を見上げると阿修羅王は少年を呼びよせて光る羽を渡していた。

(―― 見届けよう。)

羅刹は炎の王に抱かれたままの夜魔刀を見つめた。




阿修羅はしっかり羽をつかんだ少年に向って満足そうな微笑みを見せると、すっと立ち上がった。

月の城のすべてが息を詰めて見守る中で、永きに渡って戦の血が流れた地面に自分の長剣を突き立てて叫ぶ。

「月の城は阿修羅が制した。」

長い髪が風にたなびく。

選べるのはただ一つ。

「願おう 我が真の願いを」



月の城は地響きを立てて激しく揺れた。



修羅刀が突き刺さった地面は一気にひび割れ、そこからまばゆい光があふれた。

炎の王の金色の衣が激しい砂塵に舞い上がる。

阿修羅の側近の倶摩羅が小狼の脇から身を乗り出して叫んだ。

「阿修羅王!城が崩れます!こちらへ!!」

阿修羅は拒んだ。

王の願いを捨てて己の願いを選んだ時、既に覚悟はできていた。

「王!!早く!!!」

倶摩羅は必死に手を伸ばす。

「私はあなたの本当の願いを知っていました!!それでも私には、あなたのいない世界に生きる意味など・・」

さらに岩盤が崩れ、倶摩羅の叫びは地響きにかき消された。

「王ーーーーーー!!!!!」


「崩れる!!」

阿修羅の傍らにいた小狼も手をのばした。

しかし阿修羅は動く様子を見せない。

「・・・・願いをかなえられぬ城は崩れゆく・・・・か」

戦士たちは逃げまどい、城は足場も覚束ないほどに崩壊していく。

「私の真の願い・・・・夜叉王を蘇らせることはやはりできなかったな」

夜魔刀の柄に額を当てていた阿修羅はすっと顔を上げて羽を持つ少年に振り向いた。

「小狼、諦めればそこですべてが終わる。たとえ己が何者でも 他者が己に何を強いても」

小狼は業病患者の墓場で見た阿修羅王の鮮やかな笑顔を思い出した。

「己の真の願いを 願い続けろ」

たなびく長い髪の隙間から黄昏の金が煌きを残す。


粉々に砕け散った月の城は眩い光に包まれて消えた。




*********************

心はとても静かだった。

最期に阿修羅は時空を超える存在に願う。

( 私と夜叉王を後の世の神に )

それは神にも出来ぬことがあるという証。

( 変わるからこそ 戻らぬからこそ 一度しかない生を悔いなく生きろと願う神に )




何処からか心地よい音楽が聞こえる

しゃらしゃらと鈴が鳴るような音にのって、笛と琴の澄んだ調べが運ばれてくる

阿修羅は光の中で目を閉じた

( 聴こえるか 夜叉 この世界の特別な音 )

それは 声なき者の声を受け止める心優しい少女たちが奏でる 限りなく純粋な音色

(――天上の 雅楽だ )



踊り疲れたら しばらく眠ろう

眠るのは そう 静かで深い森がいい







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