3.黒ファイ演繹 3-8 美しい国

その後、一行は町はずれの森にやってきた。切り立った崖と崖の間の細い道をしばらく登り続けると洞窟の入口が現れた。

薄暗い洞窟の中には松明がたかれており、人が暮らしている匂いがした。

洞窟の奥にある牢のような門をくぐると漆喰の壁の建物が見えた。

中は薄暗く静かな床張りの部屋だった。、隙間なく蒲団が敷き詰めれらており、横たわっている数十人の人々はすべて、全身を包帯で巻かれていた。ときど地の底から響いてくるような苦しげなうめき声が聞こえた。

「此処は・・・?」

「業病患者の臥所だ。」

「業病?」

小狼が振り仰ぐと、頼りなく揺れる蝋燭の灯に照らされた阿修羅王の横顔には悲しげな色が滲んでいた。




「阿修羅王、良くお越し下さいました。」

その時、目の前に髪をちょんまげに結った可憐な少女が現れた。手には水を張った桶と包帯を持っている。

「カヤか、いつも御苦労だな。」

阿修羅王は少女ににっこり微笑み返した。

「変わりはないか?」

カヤのキラキラした瞳が曇った。

「・・・楽師が、亡くなりました。」

「そうか・・・、後ほど挨拶しよう。」

その時足元で患者のうめき声がしたので、阿修羅王はすっとしゃがんでその手を取った。

「痛むか?」

患者は包帯の隙間からのぞくうつろな目で縋るように王を見つめ、言葉にならない声を発する。

「手伝おう。」

手を清めた阿修羅王が患者の包帯を解くとそこからひどくただれた皮膚が現れた。青黒く変色した皮膚の一部はもう溶けてしまって、包帯で固めていないと形をとどめることさえ難しいことが分かった。

カヤは桶を床に置くと湿らせた手拭いをやさしく押し当て、ただれた皮膚を拭った。王はその上から慣れた手付きで新しい包帯を巻いていく。

小狼はその様子を茫然と見ていた。

一通りの手当てが済むと、楽になったのか患者はすっと眠ってしまった。

阿修羅王は先程の続きを独り言のように話しだした。

「業病とは、この修羅の国に古よりある風土病だ。原因は未だ分からぬ。発病すると皮膚がただれ、そのまま苦しみながら何年も生きて、最期には肉まで溶けて無くなってしまう。」

阿修羅王は痛みに堪える患者に敬意を表して回った。小狼の目に王は業病患者に仕えている様に映った。

「過去にこの場所は、病を罹ったものを隔離する姥捨て山だった。実際のところこの病は感染するものでは無い。しかし忌み嫌われている。私は個人的にこの施設を作り通っているが、臣下は未だに良い顔をせぬ。王であっても実際に出来得ることは、身近にあるほんの小さきことだけだ。今ではカヤのように世話をしてくれる者もいるがな。」

阿修羅王のやさしい視線の先ではカヤと倶摩羅が次回の物品補充について話していた。

「業病を罹ったものは通常の社会生活を送ることは不可能だ。そして次第に強くなる痛みに耐えかねて自ら命を絶つ者も少なくない。悲しいことだが、彼らは素晴らしい才能を持っている。ついて来い。」

阿修羅王は立ち上がり、白い外套を翻して颯爽と歩き出した。小狼はあわてて後を追った。


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隣の部屋では、伏せている患者より多少元気のある業病患者が様々な作業をしていた。

あるものは楽器を作り、あるものは武器を作っている。

阿修羅王は胡坐をかいて酒を飲んでいる大柄な患者の背中に声をかけた。

「調子はどうだ?匠。」

患者は包帯の隙間からのぞく鋭い隻眼を嬉しそうに細めた。もう片方は溶けてつぶれてしまっている。

「これは王様。私個人に限って言えばなにも変りなどございません。」

王はにっこり笑ってみせる。

「それは良きことだ。今日は頼みがあって参った。」

「何なりと。」

「彼に防具を作ってくれぬか?」

匠と呼ばれる患者は小狼をみて眼を丸くした。

「これはこれは小さき戦士でさぁねぇ。」

患者は這いずって動き、出来合いの防具をいくつか出してきて、小狼に当てた。
しかしどれも小狼の体には大きすぎた。

患者は少し考えてから、出してきた防具をすべてバラバラにしてしまい、いくつかのパーツをジグゾーパズルのように組み上げた。
胸当ては腰に、肘あては肩に。

小狼があっという間に出来あがった紅と金の炎の防具を身につけると、それは身体に沿うようにしっくりきて軽かった。

「さすがだな。」

王が満足そうに言うと、匠は答えた。

「物事をややこしくするのも簡単にするのも自分次第でさぁね。今の私は何にもとらわれずすべてを単純に考えられる。これも王様のおかげですよ。」

「・・・胸に刺さる。」

阿修羅王は目を伏せて少しだけ笑った。



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一行が最奥の部屋の扉を開けると、強い風と光が射しこみ、小狼は眩さに目がくらむのを感じた。

扉の向こうには青空が広がっていた。

そこは洞窟を抜けた先の崖の上で、景下には修羅の国の全貌が見渡せる素晴らしい場所だった。

そして、業病患者が永久に眠る場所でもあった。

阿修羅王も眩しそうに目を細めて修羅の国を見渡した。

麗人の立ち姿は一枚の絵のように美しい。

長い黒髪と白い外套が風に揺れる。


「 阿修羅族は業病を恐れ忌み嫌い、月の城を制することでその苦しみから解放されたいと願っている。しかしここに来ると私には、この病は我々が背負わねばならない『業』であると思えて仕方無いのだ。」

足元には墓石の代わりに小さな石がぽつりぽつりと置いてある。

「――楽師は、此処で眠っています。」

カヤが石の一つを示すと、王はその前に跪いてしばらく祈りを捧げた。

挨拶が済む頃合いを計って、カヤは手に持って来た箱を王に手渡した。

「楽師はずいぶん前から王様のためにとこれを作っていました。」

阿修羅王が箱を受け取り中を開けると、そこには小さな横笛が入っていた。

それは美しい鳥と雲の蒔絵が入った紅い笛だった。

王はそれを手に取り愛おしげに見つめた。

「確かに受け取ったぞ。それから、これは私からカヤに贈ろう。」

王は首飾りの紫色の紐を切って横笛に通すとカヤの首にかけた。

少女はびっくりして叫んだ。

「それはなりません!」

「楽師の最期を看取ってくれた事を感謝する。彼の作る楽器の音色は、特別だった。」

カヤはうつむいて小さな笛を握りしめた。

「そなたも笛の名手であろう。これからはその笛の音を聞かせてくれ。この場所からならば、風が国中に音色を運んでくれる。さすれば民の心にも、カヤのやさしい心根が伝わる。」

「・・・はい。」

カヤはとても小さな声で、でもはっきりと答えた。

阿修羅王が満足げに見上げた空の彼方には、月の城が浮かんでいた。

王の表情は次第に切なげに変わっていった。

側近の倶摩羅は、月の城を見上げる阿修羅王の横顔がとても好きだった。その視線の先にある胸を焦がすほどの想い人は自分では無いと知りながら。

小狼は、月の城での阿修羅王を思い出した。

全身を返り血に染めて、瞳に冷たい狂気を宿した恐ろしい姿を。

視線に気づいた阿修羅王はコハクの瞳を覗き込んだ。

小狼は金の瞳に射抜かれて心を見透かされるような気がした。

「阿修羅の血を引く者は本来慈悲深い存在では無い。むしろ戦場での姿がありのままの私だ。―――だが、あの黒い瞳に逢うとなぜか・・・。」

阿修羅王は目を閉じると言葉を飲み込んでしまった。

「小狼。先ほど、出来得ることは、身近にあるほんの小さきことだと言ったな。肝心なのは、声なき声を受け止めて、何にもとらわれることなく行動出来るかどうかだ。―――これがなかなか難しい。限りある生の、何と儚きことか。」

そして小狼に向き直って鮮やかな笑顔を見せた。

「今宵はせめて、そなたの願いがかなうところが見たいものだ。」

阿修羅王の髪が風にたなびいて、金の瞳が揺れる。

小狼はその情景に不思議な既視感を覚える。

黄昏に染まりはじめた空を映した瞳はとても高貴な色をしていて、凛とした王の立ち姿と共に少年の心に焼きついた。


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