3.黒ファイ演繹 3-10 語り継ぐこと

悲嘆にくれる阿修羅族の戦士は、あるものは両手で顔を覆い、あるものは地面に膝をついてうなだれた。

彼らは太陽を失ってしまったかのように見えた。

(阿修羅王・・)

小狼が見上げた空には月だけが浮かんでいた。



「やっぱまだまだ、鍛錬のやり直しだな。」

突然上から声がかかり振り仰ぐと、腕を組んだ黒鋼がいつもの不機嫌そうな顔で小狼を見下ろしていた。

「黒ぽっぽきびしい〜」

黒鋼の後ろからファイがひょいと顔を出した。

月の城が消える最後の瞬間に、小狼は黒鋼に襟首をつかまれて、修羅城の前まで戻ってきたのだ。

真っ黒だった二人の瞳は紅と蒼に戻っていた。

「黒鋼さん、ファイさん・・やっぱり!」

小狼は混乱した。

「それなら城で会った時に教えてくれれば・・」

「ごめんねぇ、あれは黒ぷいが、オレ達だってわかってると小狼君が本気を出さないからって。小狼君の先生だからねぇ、これでも。」

そう言って指差すファイにこれでもたぁなんだと黒鋼ががみついた。

小狼は思わず黒鋼に頭を下げていた。

「ありがとうございます。」

今となっては、戦場の中でも自分の剣術の上達を考えてくれた師匠の気持ちが嬉しかった。

(でも・・本当に殺されるかと思いました。)

「・・・・ふん 」

それには答えず、そっぽを向く黒鋼。

「うわ〜、黒さま、照れてる〜!」

にやにやしながら横やりを入れたファイを黒鋼は刀でなぎ払った。

とても嬉しそうに飛び退くファイ。

「それにしても無事にサクラちゃんの羽が見つかって合流できてよかったねぇ。実はオレ達、半年近くも早くあの次元に着いちゃったんだよ〜。」

「・・半年もですか?そんなにずれて・・」

「うん。ずっと小狼君たちに会えるのを待ってたんだ。ついに2人が月の城に現れたときは嬉しかったよ〜。小狼君が女の子の格好をしていたのにはびっくりしたけどねぇ。」

「あれはその、事情があって・・。」

少年は言いにくそうに頬を染めた。

「まぁ、次元を渡るとそれぞれの世界に合わせなきゃいけないから、色々と大変だよねぇ。なんせ夜魔の国では黒ぽんとオレは、公式の夫婦・・」

言葉を遮る鋭い蒼氷の一閃をかわしたファイは、この上なく嬉しそうに叫んだ。

「斬 ら れ る ぅ 」

相変わらずの二人の姿を見て、小狼は、仲間も羽も無事見つけられたことに心から安堵した。


その時、城の方からモコナを抱いたサクラが走ってきた。

必死の様子から小狼をとても心配していたことが伺える。

サクラは3人が一緒にいる姿に驚いた。

「ファイさん!黒鋼さん!!」

「やっほ〜サクラちゃん久しぶりー」

ついに旅の一行が合流を果たした!という矢先、羽を胸に取り戻したサクラは眠ってしまった。

小狼はサクラを受け止めて抱きしめる。

ファイがキャッチしたモコナは眠ったままふわりと浮きあがり大きな翼を広げた。

「やっと移動かよ」

それを見て、やれやれだぜ、という様子の黒鋼。

ファイはそんな黒鋼の襟首をつかんで引き寄せた。

そして小狼とさくらごと抱き締める。

「また離れて落っこちないようにー。」


4人が固まって、まさに次元移動が始まるというその時になって、今更のように怒りに燃えた倶摩羅が斬りかかってきた。

「まて!やっぱりお前たちは夜叉族と通じていたのだな!!」

「違います。」

小狼はきっぱり答えた。

「もしそうだとしても 二人の王はもういません。」

いつも王の傍で忠義を尽くしていた彼にこそ伝えたいと思った。

「もし二人の王の亡骸か 形見の一部でも見つかったら どうか離さず一緒に葬って差し上げてください。」



そう言い残して次元のひずみに消えたまっすぐな琥珀色の瞳は倶摩羅の胸に刺さった。

「阿修羅王・・」

声にならない声は闇に溶ける。

辺りは何もなかったように静かになり、夜風が倶摩羅のぬれた頬をひんやりなでた。





月の消えた空は いつしか暁に染まる。






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4人と一匹は次元を越えて大勢の人で賑わう紗羅の国の陣社にたどり着いた。



陣社の男性は、力仕事を手伝ったり、花を捧げたりと、遊郭区の女性を甲斐甲斐しくエスコートしている。

紗羅の国の男女は、晴れやかに人生を謳歌していた。

またしても小狼は混乱してしまう。

「ここは前にいた紗羅の国とは違うんでしょうか?」

この次元は最初に4人がはぐれた紗羅の国にそっくりだったが人々の様子がおかしい。

元いた紗羅の国では阿修羅像が祀られている遊郭区と夜叉像が祀られている陣社に区画がはっきり分かれていて、遊郭区の女性陣と陣社の男性陣は、互いの存在さえ忌み嫌っていたはずだった。

思案顔のファイが答える。

「んー、同じだけど違う次元ってこと?」



そしてなんとこの日は、陣社の陣主と遊郭区の主人の結婚式だった。

突然現れた4人の旅人に男衆が声をかけた。

「今日はめでたい日だからうちの神様も御開帳だ!」

女衆も笑顔で迎える。

「見てってよ!うちの守り神だ!」

そこにはなんと夜叉王と阿修羅王の神像が並んで祀られていた。

(エッ――ー!)

人々が言うには、この国の対になる神は出来た時からずっと一緒で、離しちゃいけないという言われがあるらしい。

二人の神が民に伝えることは『限りある生を 悔いなく生きること』

女衆が言った。

「紗羅の国が安泰なのも この神様お二人のおかげさね!」

二人の神の表情はとても穏やかに見えた。


「ねぇねぇこれ」

モコナが、神像と一緒に祀られている古ぼけた神器を見つけて声をかけた。

そこにうやうやしく飾られていたのは、サクラと小狼が元いた紗羅の国でそれぞれ身につけて修羅の国の阿修羅城に置いてきた髪飾りだった。

(アッ――ー!)

一行の理解は、修羅の国のずっと後の姿が今の紗羅の国だということに辿り着いた。

そして並んで座る二人の神の姿を見て、修羅の国に実在した夜叉王と阿修羅王の物語を思い出す。


人を想う気持ちは本当に美しいもの。

それは全ての時刻、全ての季節、全ての時代、全ての事柄をシンプルに飛び越えて、触れた人間の魂にたどり着く。

限りある命だからこそ、その想いは語り継がれ、受け継がれるのだ。

その名に、姿に

歌に舞踊に武術の心に


しかし、小狼は自分が倶摩羅に願った一言に対して苦い重責を感じた。

「未来が変わった か」

しゃがんで神器を物色していたファイが少年の心を見透かすようにはっきりした口調で言った。

蒼い瞳は静かだった。


月の城は阿修羅王の選んだ願いに無情な答えを出した。

それはファイには半ばわかっていたことだった。

同時に違った方法で予定調和の世界を越えて見せた願いにも触れた。

ほんの少し舵先を変えることができれば、こうして目の前で未来は変わっていく。

小狼の言葉が阿修羅王に強い想いを持つ人物の心に届いた事が、未来を変えたきっかけの一つだろうと思う。

ファイもかつて金の瞳の王に強い忠誠心を持っていた。

その瞳の色はファイの知る最も高貴な色で、何よりも特別な 世界の始まりと終わりの色だった。

月の城では、その気持ちが今でも全く変わらないことを思い知った。

以前王が言った奇跡のきっかけを、自分はつかむことができるだろうかという思いが胸をよぎる。

どんなに些細な出来事もきっかけになり得るのなら、夜魔の夢見が見せた夢には一体どんな意味があったのだろうか。

何故かあの夢は心をすり抜けて消えてしまった。

それでも夜魔の記憶の中で、今も鮮烈に心に残る色がある。

彼の知る世界には存在しなかった紅葉の赤は、かつてセレスで探し求めた石の色を思い出ださせ、同時に忍者の瞳の色を思わせた。

夜魔の国での黒鋼は言葉が分からないファイに代わって交渉ごとの一切を引き受け、いつしか子供から国の要人にまで頼られるようになった。

諦められない強い願いを持ってこの旅に臨んだ魔術師は思う。

鮮やかな命の色を持つ忍者が自分の旅の目的を知ったら、やはり愚かだと言うのだろうか。

ファイは、つかずはなれず自分を守ってくれた黒鋼が、決して表には出そうとしない優しさが好きだと思い、傍にいることに居心地の良さを感じた。

それでも無事に仲間と合流した今、何もなかったかのようにその感情を受け流して旅を続けるのだ。





黒鋼は並んで祀られる夜叉王と阿修羅王の姿を見て嘆息した。

「しぶてぇな・・」

その横でぼんやり考え事をしていた魔術師は、いつしか子供達の姿を優しげに眺めている。

黒鋼には言葉を取り戻した魔術師が以前にも増して胡散臭く見えた。

またぺらぺらとうるさくしゃべって今後の旅を如才無く取り仕切るのだろうと思うと、実はこの旅に誰にも明かさない目的をもっているような気がしてくる。

夜魔の国では外の世界にまったく関心を見せない時期があったが、今はしきりに少年少女への気遣いを見せていた。

腹の底が知れないことに変わりはなかったが、その気遣いを自分だけに向けられて、いつしか彼を守りたいと思ってしまった。

この時、黒鋼の懐には、最後の別れに子供たちから渡された週刊摩賀二庵最新巻(当時)があったが、ファイは半年も住み慣れた家から何一つ持ち帰ろうとしなかった。

結局関心が無いことには内も外も関係なかったのだ。

それでも戦場の混沌に流れる意識の先を読んで動けば、いつでも傍で過不足なく応えてきたファイは、黒鋼が初めて背中を任せた唯一の存在になった。

退屈しのぎであったはずの戦闘で自分の太刀が随分変わってしまったことに黒鋼は気づいていた。

どこがどうとはいえないが、心も変わっているはずだった。

黒鋼は無意識に蒼氷に手を遣った。

君主の呪のためとはいえ、すっかり手になじんだ長剣で、人を殺めたことはない。

長年二つの部族の宿怨を煽ってきたらしい月の城は、黒鋼に言わせればファイと同じくらい不安定で、半年ほどの短い間でさえ均衡を崩していくのが見て取れた。

互いの真の願いを知ったとき、憎しみなどは長く続く感情ではないのかもしれないという考えに至る。

それでも忍者は自分の願いとは全く別物と分けていた。

彼が国に帰って果たすべき本懐は、憎しみとか恨みとかという感情だけではなく、もはやけじめだった。



「新郎新婦の鏡割りだ――ー!」

男衆の景気の良い掛け声とともに、高廊下には新郎新婦の蒼石と鈴蘭が現れて陣社全体が沸き上がった。

火煉太夫のファイヤーシャワーと女衆のフラワーシャワーの祝福を浴びた鈴蘭は目に涙を浮かべて蒼石に寄り添っている。





「祝い酒っつてたな。」

まっすぐお鏡に向かう黒鋼の後ろ姿はご機嫌だった。

「黒ろん飲む気満々〜」

ファイがはやし立てた時、黒鋼の頭上のモコナがばっと大きな翼を広げた。

次元移動魔法発動!!

モコナが大口を開けると4人が次元のゆがみに吸い込まれる。

ファイは小狼の肩に手を添える。

「小狼君はサクラちゃんを!」

そして自分はがしっと黒鋼の首根っこをつかんで、一杯ぐらい飲ませろよ、と不機嫌になる黒鋼を抱き寄せる。

「だから、離れちゃわないように ね。」

4人が最後に見た紗羅の国の情景は、二人の神に見守られて手を取り寄り添う陣主と主人の姿だった。

小狼とサクラは同じように手を取り合ってほほ笑む。

"お幸せに"

最後に口を閉じたモコナは二人の王にぺこりと頭を下げてから、煙のように揺れる時空のはざまに消えた。


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