3.黒ファイ演繹 3-5 夜空

次々と杯を空けて一通りの挨拶を済ませると、今度は町の人々に囲まれた。

黒鋼とファイの前で言葉を交わすうち、突然告げられた別れがつらくなった生徒たちは泣き出してしまった。

「最初からわかってただろうが。・・泣くな。」

黒鋼がめずらしく困った顔を見せたのでファイはちょっぴり驚いた。

「黒鋼先生、ウィンダムさん、行かないでくださ・・・。」

しかし夜叉王が傍にやってくると彼らは現金にもぴったり泣きやんだ。

「・・・。」

夜叉王はしゃがんで子供とおなじ目線になり、子供たちが熱心に話す他愛のない話を優しい眼差しで聞いている。

その姿に黒鋼は、剣術指導を頼まれた時の夜叉王の言葉を思い出した。

(子供らの心は豊かであってほしい。戦ばかりでは寂しいではないか。)

心の豊かさとは、目に見えない、何気ない思いやりみたいなものだと柄にもなく思う。

それは身近なふれあいを重ねてやっと育つもんだと、子供たちの素直な笑顔が教えてくれた。

(未来は彼らの手の中、か。)

夜魔の子供たちの心の中で、ずっとこの王は生き続けるのだろう。



名残惜しげな子供らを見送った後、黒鋼とファイも一足先に帰ることにした。

ほんの少しの荷物だが一応まとめておかなくてはならない。

羅刹は、黒鋼に「お前の顔が見られなくなると思うと、清々するぜ。」と言って笑った。

黒鋼はそんなことを言われると、またどこかで会うのではないかといういやな予感がしたが、ここでは大人になり、次の王とその妻に激励の言葉を送った。

「いい国作れよ、二人でな。」

沙羅は黒鋼に微笑みとお礼を返してからファイの手を握った。

「貴方のお庭の世話には私がするから安心して下さいね。どうか幸せになってください。沙羅はいつでもあなたの幸せを祈っています。」

手を握られたファイは戸惑ったが、自分も沙羅の手を握りかえした。

(ありがとう。)

老婆も旅立つ二人に微笑んだ。

「貴方達のことは忘れませんよ。」

そして包み込むようにファイの手を握って言った。

「一度あった事は忘れないもの。思い出せないだけで、ね。」

皺の刻まれた暖かい夢見の手に触れて、ファイは涙が出そうになるのをこらえた。

最後に黒鋼が皆に向けて「世話になった。」と言うと、夜叉王は「さらばだ。」とだけ言った。

黒鋼を見つめるまっすぐな黒い瞳とつややかな黒い髪が揺れた。


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「清々しい風のような二人だった。」

黒鋼とファイの姿を見送る夜叉王が言うと、羅刹も応えた。

「確かに。さみしくなるぜ。」

夜叉王はすべてを羅刹に話していた。

その上で、羅刹は兄の願いを受け入れたのだ。

「後は・・頼む。」

兄は真っ直ぐ弟の目を見た。

「あぁ、任せてくれ。不安がないと言えば嘘になるが、な。」

正直な気持ちだった。

偉大な王の跡目を継ぐことに不安が無いわけはない。

「羅刹・・・お前なら、"絶対大丈夫だぞ"。子供たちの心に「夜魔天狼剣ごっこ」を取り戻す気概で行け。」

夜叉王は真剣な表情で言いきった。

「・・・兄者の言う事は、たまに理解ができねぇ。」

相変わらずの兄が懐かしく、羅刹は苦笑いする。

「王とは常に、孤独なものだ。」

夜叉王は目を伏せてそう言ってから顔をあげると、羅刹の目の前に杯を掲げた。

羅刹も杯を持って応える。



そんな兄弟の姿を沙羅は少し離れた場所から見ていた。

性格は一見真逆の二人だが、姿に声に表情に、至るところに同じ面影が見つけられる。

夫は常に「いつかは兄の役に立ちたい」と願ってきた。

二人の胸中を思えは身が切られるほどに辛かったが、こうして羅刹の願いは叶ったのだ。

(これからも夫と自分は共に手をとって、同じ方向を見つめて生きていく。そうすれば道に迷っても、決してあきらめることはありませんもの。)

沙羅は切ない胸の内で決意を新たにしていた。



兄弟は一気に杯を干した。

こうして夜叉王の願いがひとつ叶った頃、陣社の鐘が鳴り響き、今年の祭りの終わりを告げた。

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城に戻った夜叉王は、一日の締めくくりに睡蓮の浮彫の扉を叩く。

中では占い師が式服のまま待っていてくれた。

部屋の中央にある大きなテーブルには占い道具の砂盤が置いてある。

「おかえりなさいませ。」

「今戻った。」

老婆の部屋は二面の壁の代わりに床から天井までの大きな窓がある開放的なつくりで、今は簾もすべて上げられていた。

この日の空は奇跡的に美しく、月の光が明るいのに天の川までがはっきり見えた。

「まるで月の河だ。」

張り出し縁に立った夜叉王が夜空を見上げると、満天の星の光を受けて、つややかな髪と瑠璃色の服に施された刺繍の銀糸が輝いた。

老婆は窓辺に立ってその後ろ姿を見つめた。

「明日、だな。」

「明日、でございます。」

夜叉王は老婆に向き直り、そして誠心誠意を込めて言った。

「そなたには、一番世話になった。改めて礼を言う。」

「もったいないお言葉です。」

老婆は頭を垂れる。



「勝手だが、羅刹の事を頼む。」

「ご心配なく、お任せ下さい。」



「それから・・・」

それから―――再び夜空を振り仰げば、託したい想いが星の数ほど込み上げて、夜叉王は言葉を飲み込んだ。



満天の星月夜を全身に浴びて目を閉じる。



「・・・今宵の空は格別に美しい。故に、―――去り難い。」



老婆は涙を飲み込んで微笑んだ。



「それが"生きる"ってものですよ。」





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