3.黒ファイ演繹 3-4 真っ赤な紅葉と彼の瞳
月の城から夜魔の国に戻ってくると、この日は秋の夜長の一大イベントである収穫祭だった。
毎年恒例のこの秋祭りでは、多くの民が陣社に集まり歌って踊って酒を飲み、自然の恵みに感謝を捧げる。
会場は夜叉城のほど近くにある陣社だった。
長い階段を登り切った黒鋼を陣社の重厚な二重楼門が迎える。
広い境内ではそこかしこに松明が焚かれて、銀杏や紅葉の木々も煌々と照らされていた。
境内は大勢の人で賑わい、一足早く着いた戦士たちは戦の疲れも見せず早速酒盛りを始めている。
彼らにとっての杯は、月の晩の追悼でもあった。
また、今年の収穫祭には特別な意味があった。
近々夜叉王の名を継ぐ羅刹とその妻のお披露目の場でもあったし、病に伏せてから、戦以外では一切公式の場に姿を現さなかった夜叉王も参席する予定になっている。
境内の中央にある伽藍の前には三日月を模った祭壇が作られ、とれたばかりの穀物や薄、だんごが供えられていた。
伽藍の脇には、王族用の天幕が用意されており、妻を連れ立ってそこに入ろうとしていた羅刹が黒鋼の姿に気づいて声をかけた。
「おう黒鋼、早いじゃねぇか。ってお前派手だな・・。より一層、柄悪く見えるぞ。」
「・・・。」
月の城から夜叉城に戻ると、占い師の老婆が黒鋼とファイを待っていた。
そこで二人は秋祭りに参加するようにとほぼ強制的に告げられた。
老婆はいやそうな顔をする黒鋼を「好きなだけお酒が飲めますよ。」とたしなめた。
手際よく、着替えも用意されており、身支度のための付き人もいたが黒鋼は断った。
準備されていた衣装は黒鋼にとって馴染みのある和服だったのだ。
有無を言わせない強引な展開に少々イラついた黒鋼だったが、それでも袖なしの黒い漢服の上に絹の和服をはおって適当に帯を巻いた。
着物の地色は目が覚めるような猩々緋で、手描きで羽ばたく大鷹が染められていた。
面倒な飾りがたくさん付いていたのでそのまま置きっぱなしで出かけようとしたが老婆に強引に身につけさせられた。
黒地の帯には金と鳶色で紗綾型模様の織りが施され、その上に鮮やかな山吹色の組み紐の帯〆が飾られた。
大胆に抜かれた襟や袂からのぞく裏地も山吹色だった。
額に捲いた紫紺と山吹色の布の垂れにはいろいろ派手な飾りがついていて、黒鋼にはちゃらちゃらとうるさく感じられた。
自分らしいのは腰に差したなじみの長剣くらいのものだと思う。
それでも今日に限っては彼が決定的に機嫌を損なう事は無かった。
何と言っても遂にこの次元で旅の一行と巡り合えたのだ。
阿修羅王に受け入れられた彼らはきっと明日にでも月の城に来るだろう。
そこで 必ず 捕まえる。
―――ようやく、次の世界に次元移動だ。
「てめぇこそ、なんだその服。旅芸人みてぇだぞ。もしくは孫悟空。」
羅刹は鮮やかなカナリア色の漢服を着ていた。額にはぴったりと金の輪が嵌っている。
「お前にだけは言われたくねぇ!」
「こっちの台詞だ。」
二人がまたしても言い争いになっているのを、薄紅の着物を着た沙羅はにこにこと見守った。
「仲が良いのですね。」
そこに外套をひるがえして現れたのは夜叉王だった。
「お前たち、みっともないぞ。民が見ている。」
厳しい声色に反して黒い瞳は笑ってる。
たしなめられた二人は面白くなさそうにつま先から頭のてっぺんまで夜叉王を見た。
瑠璃紺の漢服に、長めに垂を取った光沢のある帯は漆黒。その色は彼の髪と瞳と同じくらいつややかだった。
腰には、夜叉族最強の男である印、夜魔刀を吊っている。
「・・・隙が、無ぇ。」
夜叉王は余裕の笑みを見せた。
「場数が違うというものだ。」
二人は大人しくなった。
わけも分からず黒鋼と引き離されたファイは、やっとのことで衣装を着た。
これは、夜魔の国の服ではないようだった。
何重かに着物を重ねて幅の広い帯を結ばれたものの、支度を手伝ってくれた使用人も、試行錯誤で苦労している様子だった。
ファイの着物は茜色で、連なって飛ぶ鴈のシルエットが海老茶で染め抜かれていた。
襦袢は茄子紺。
黒紅一色の帯は紫の帯上げで固定されて、さらにその上から紺藍の帯〆をぐるぐる巻いて絞められた。
帯〆と同じ色の平たい七宝焼きの帯留は三日月の形をしていた。
(締め殺されそうだよ。)
やっと仕上がったファイは、黒鋼が先に行ってしまった事を聞かされて、一人ふらふらと会場に向かった。
歩くたびにファイの髪と同じ色をした髪飾りがゆれてしゃらしゃらと音をたてた。
ファイが着いた頃には祭りの宴はたけなわだった。
人いきれがしそうだったのでまずは少し休もうと、ひっそり境内の隅の紅葉の木の下に立った。
ファイの姿に気付いた人々はちらちらと遠巻きに見てきた。
自分の風貌に皆が違和感を持っていることを知っているだけに、この派手な格好はそれは奇異に映ることだろうと思い、居心地の悪さと心細さを感じた。
どこかにいるはずの黒鋼を探そうかとも思ったが、それも少し億劫になって空を見上げた。
この日の夜空には、明るい満月が浮かんでいるのにもかかわらず、星も負けじと輝いている。
ファイは指を開いて空に手を掲げた。
この国で初めて知った紅葉は、ちょうど広げた手のひらのような形をしている。
幾重にも重なって月光に透ける紅葉のシルエットが美しい。
ふいに手に取ってみたくなり、背伸びをして細い一枝を手折った。
その紅葉の葉の色はちょうど・・・
ファイを探していた黒鋼は境内の片隅に佇む金の光を見つけた。
(あいつ、何やってんだ?)
誰に呼び止められても無視して人混みをかき分けて進む。
こちらに気付いたファイが振り向くと、金の髪が揺れた。
彼の姿は他の誰とも違って見える。
ファイはさざめく人の波をかわして真っ直ぐこちらに歩いてくる黒鋼を見つけた。
周りから頭一つ抜けた長身、逞しい体躯。
人混みの中で見る彼の姿はとてもセクシーだ。
二人は祭りの喧騒から離れて紅葉の木の下で向かい合った。
盛装した二人の着物はお互い紅葉みたいに真っ赤だった。
黒鋼の着物はやたらと派手だったが彼にはよく似合っている。
(ひゅー、黒様、かっこいい。)
おどけて口笛でも吹こうかと思ったが、あまりにも真っ直ぐ見詰められて、できなかった。
かわりにファイは、黒鋼の通った鼻先に紅葉の葉を突き付けた。
(君の、瞳の色だ。)
黒鋼は一瞬顔を引いて紅葉を見たが、すぐに目線を元に戻した。
少し顔を傾けてファイの姿をじっと見詰める。
それは珍しい物を見つけた時の彼の癖だった。
そして目線を外さないまま紅葉の一枝を受け取ると、一度自分の唇に寄せてからファイの髪飾りの上にすっと差した。
ぱち、と松明がはじける音がした。
その手は柔らかい髪を撫でて下りた。
少し優しくなった黒鋼の目が相変わらず自分に注がれている事に落ち着かなくなったファイはうつむいてしまった。
黒鋼はこの時初めて和装のファイを見た。
それは何の違和感もなくて、ただ、美しいと思った。
「お前も来い。挨拶するぞ。」
(えっ・・)
黒鋼はがしっとファイの腕をつかんで歩き出した。
「俺の傍に立ってりゃあいい。」
ファイは、自分をずるずると引きずって歩くこの男は時々本当に一方的だと思う。
黒鋼がファイを連れて天幕の下に戻ってくると、そこには夜叉王、羅刹、沙羅といった王族の面々と、占い師の老婆や、宰相、将軍といった面々が杯を片手に談笑していた。
二人に気付いて、まず声をかけたのは夜叉王だった。
「おお(嬉)風月!なんと美しい!!」
一斉に皆が振り返る。
「まぁ、本当に。それにしても夜叉王は本当に嬉しそうですわね。」
「兄者は昔から物の怪に憑かれやすいんだ。」
「二人ともよくお似合いでよかったこと。」
老婆は二人の姿を見て眩しそうに眼を細めた。
羅刹の妻の沙羅とファイは仲が良かった。
二人で一緒にいる時は、姉妹のように花の世話をしたり料理をしたりして過ごした。
ファイは家に遊びに来た沙羅に、初めて出会ったときに描いていた白樺並木の絵をプレゼントしている。
ファイの傍にやって来た沙羅は、金の髪を飾る紅葉の葉に手をのばして言った。
「素敵な髪飾り。今宵の風月様は紅葉の妖精のようですわ。」
「・・・」
先ほどの出来事を思い出したファイは、思いがけず紅葉のように頬を染めた。
頃合いを見て、夜叉王が言った。
「全員揃ったところで外に出るとしよう。」
ここで、羅刹とその妻のお披露目を兼ねて、急遽、待ち人が現れて旅立つ黒鋼とファイの送別をしようということにもなったのだ。
5人が天幕の前に現れると、夜魔の民は湧き上がった。
特に子供たちの熱狂ぶりはすごかった。
「夜叉王さまーー!!やっぱり一番カッコいい!!!」
微妙に面白くない黒鋼。
「あいつら・・・。子供は早く寝ろよ。」
素直に喜ぶ子供たちには、遠慮も配慮もなかった。
5人の前に次々と国の要人達が挨拶にやってきた。
まず夜叉王に挨拶し、羅刹と沙羅には祝福を、黒鋼とファイには旅の無事を願う。
黒鋼はファイの分も一緒に応えた。
「御武運をお祈りしております。旅のお仲間が見つかってよかったですなぁ。」
「世話になった。礼を言う。」
「急な別れは寂しいものですが、夜魔の国からお二人の旅路に幸多からん事を願いましょう。」
「感謝する。」
ファイは短い言葉を返す黒鋼の隣に立って、微笑みを返した。
(みなさん、お世話になりました〜。)
夜魔の国の要人たちはファイを黒鋼の妻のように扱った。
それは黒鋼を複雑な気分にさせたが、こちらを見ている女官達の手前、そのように振舞った。
夜魔の国の女性たちはそれはそれで、―――萌えた。
夜魔の民は幸せな気持ちで5人の姿を眺めた。
強くて穏やかな夜叉王は理想的な君主だ。
逞しくおおらかな羅刹もその意志をついで立派な王になることだろう。彼には聡く優しい妻もいる。
そして、半年前に突然現れて月の城を席巻した不思議な二人の旅人―――
黒鋼の姿は異国から来た王のように見えた。
隣に寄り添うファイは王の寵愛を受けて仕える風の精霊だ。
祭壇の前では、陣主が翌年の豊作を願って祝詞をあげて祭りの盛り上がりは最高潮を迎えた。
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