3.黒ファイ演繹 3-1 王の帰還

夜魔ノ国に二人の旅人がやってきた。

二人は寄り添って一頭の馬に乗り、町外れにある黄金色の銀杏並木を歩いている。

頬に向かい傷のある堂々たる体躯の男はふいに独り言のように言った。

「そういやそろそろ秋祭の時期だったなぁ。」

隣に座る美しい妻は男を振り仰いで微笑んだ。

「それは、良い季節に来ましたね。」

愛らしく編み込みをしたさらさらの長い髪が金色の風に揺れた。

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ときは天高く馬肥ゆる秋。

夜魔ノ国の民は稲穂の刈り入れに忙しい。

次の満月の夜には陣杜の境内で収穫祭が開かれる。

収穫祭はその年が無事に過ごせたことへの感謝と、翌年の豊作を月夜に願うお祭りだった。

この国の気候は不安定で、過去に何度も天災に見舞われ、飢饉が起きている。

夜叉族の間では、月の城を制して永久の繁栄の願えばその天災さえも打ち消せると信じられていた。

収穫祭は月の城から戻った戦士も加わり夜通し続く秋の夜長の一大イベントだった。


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二人が夜魔の自然を愛でながら馬を進めていると、突然空から何かが落ちてきた。

向かい傷の男は咄嗟に妻をかばい身構える。

落ちてきたのは男物の大きな雪駄だった。

頭上を見上げると、大きな銀杏の木の上でぶらぶらと所載なくゆれる白い脛が見えた。



「誰だ?!」

木の上の人物は大きな声に気づくとぴたりと動きを止めた。

そして高い木の枝から飛び降りてきた。


ひらひらと舞う銀杏の葉と共に、ふわりと地上に降り立ったその人物は、とても奇妙な姿をしていた。

何もかもが男が知る夜魔ノ国には不釣り合いに見えた。


「お前、この国の者か?」

向かい傷の男は、訝しげに問うた。

「・・・。」

奇妙な人物は言葉を返すこともなく、さかさまに落ちた雪駄を拾って裸足に通した。

彼の薄い足にその雪駄はどう見ても大き過ぎる。

ひょろりと長い手足。

手には紙と筆とを持っていて、紙には向こう岸の白樺並木が描かれていた。

細い体に身幅の合わない白い着物を纏っており、彼の肌は着物と同じくらいに真っ白だった。

端正な顔にかかる髪の色は淡く、黄金に染まった銀杏の葉の色に似ている。

奇妙な人物はやはり何も言わず、じっと大きな瞳を凝らして男の顔を見ていた。

「お前、しゃべれねぇのか?」

「・・・。」

少し気づかわしげになった男の顔に夜叉王の面影をみつけたその奇妙な人物は、すっと遠くに見える夜叉城を指差した。

その様子を見ていた妻は、ぱっと笑顔になった。

「そうです!あなたのおっしゃる通りで、私たちはお城に向かっているところです。
私は初めてこの国にきたけれど、この人はとても久しぶりに帰ってきたのですよ。」

すると奇妙な人物は優しく目を細めた。
男とその妻に向かって両手を広げ、穏やかに微笑み返す。

(おかえりなさい。)

銀杏並木が風に揺れて、ざぁと音をたてた。

男は自分たちに向けられた優しげなまなざしを受けて、心の底にあった不安や焦りが溶けて消えていくのを感じた。

そしてこれ以上見ていると、その瞳に吸い込まれてしまいそうだと思った。


「行くぞ。」

男は手綱をひいて、城へ続く道にもどった。



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「なんて美しい人でしょう。まるで銀杏の妖精みたい。またあの方に会えるかしら?」

「あぁ、おそらく城の絵師かなにかだろうな。」

「沙羅にはまた一つ楽しみが増えました。」

「気をつけろよ。あんまり近づくと魂を抜かれるぞ。あれは、物の怪の類だ。」

「羅刹様はいつも心配のしすぎですわ。」

「お前の事を心配して何が悪い。」

二人は笑い合って夜叉城へと向かった。


ある秋の日、十年ぶりの羅刹の帰郷を真っ先に歓迎したのは、黄金色に染まった銀杏並木だった。

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