2.黒ファイ演繹 2-3 戦場の願い

その日の月の城での戦闘では、黒鋼がファイの後ろについた。

ファイの様子は元に戻っているように見えたが、戦場ではなにがあるかわからない。
退屈しのぎの戦いよりも、この日は傍で彼を守りたかった。

ファイは意外そうな顔をしたがすぐに黒鋼の意思を汲んだようでにっこり笑って見せた。
それは普段通りの隙のない笑顔だった。

(そんじゃ、いくよ〜。)

ファイは、竜の手綱を引くと、砂塵の立ち込める戦場へ躍るように飛び込んで行く。
はじめは「ほんの少しだけ暴れちゃおうかな」というくらいの気持ちだった。


これまで夜叉族の戦闘は黒鋼を中心に組み立てられていたが、
今日は打って変わってフォロー役であるはずの金の風が嵐のように戦場を席捲した。

夜叉族の戦士たちはファイを中心に猫の目のように変わる戦況についていこうと
必死で追随して、追撃する。

持てる力を攻撃に集中した時のファイの弓術は神業だった。
研ぎ澄まされた意識の中で次々に手薄な空間を見つけては、立て続けに矢を放った。
これは本来のファイの戦闘スタイルに近いものだった。

剣での攻撃は点だが飛び道具による集中攻撃は面だ。
ファイは空間を切り取るように阿修羅族の陣営を刈り取っていく。



ファイは時々黒鋼を振りかえってはその位置を確かめるようにして次の攻撃の方向を定める。
黒鋼の存在だけがかろうじて現実と自分をつなぐもののように思えた。
しかし、戦場の血の匂いや喧噪を巻き込む乾いた風に煽られて、次第に制御がきかなくなっていった。

月の城の強大な魔力はファイの意識を飲み込んで、心の奥底に隠した願いまでも引き出した。



予想外のファイの暴走に黒鋼は、憤慨していた。
(てめぇは阿呆か!!)

黒鋼はファイにぴたりとついて降りかかる火の粉を払い落すことに専念する。
向かってくる敵を十分ひきつけてからその動きに合わせるよう刀を出すと阿修羅族の戦士達は音もなく崩れていった。
極限まで動きの無駄をそぎ落とさないとファイ自身のタイミングに合わせて彼を守ることは不可能だった。

黒鋼はファイから意識を片時も離す事が出来ない。

同時にこれまで自分が守らていたことに気づく。
それはいつも魔術師がやっていることだったから。



魔法の矢はすべて的確に阿修羅族の戦士の片先を射抜いた。
ファイは攻撃の手を休めることなく金色の残像を残して敵陣を縫うように駆ける。


目指すは、阿修羅王――。

視界に赤と金の旗が揺らめく王の陣をとらえた。

その中央にいるのは、この世の物とは思えないほど美しい、炎の王。
しなやかな痩身に赤と金の鎧と炎をまとい、細い腕には豪奢な飾り施された長剣が握られている。
弓で戦えるはずはないことはわかりきっていたが、もっと近くでその姿を見たかった。

しばらく静かに戦況を見ていた阿修羅王は、金の髪の戦士が目前に躍り出ると妖艶な笑みを浮かべて出迎える。

そして掲げた剣先をファイに定めた。

「お前が出てくるとは珍しいな。」

ファイは躊躇なく弓を引いたが、王が剣を一振りすると紅蓮の炎が襲い掛かりその矢は一瞬にして消し飛んだ。

ファイは騎乗の竜からひらりと飛びのいて切り立った崖を背に降り、短剣を抜いた。

阿修羅王はそれを追うように軽く跳躍すると、一気に間合いを詰めてファイの喉もとに剣の切っ先をぴたりとつけた。

相手の心を射抜くような金の瞳で言い放つ。

「氷の国の麗人よ、真の願いに気付きもせぬうちに」

王の周りで幾つもの小さな鬼火が揺れてちりと音をたてた。

「己の最期を望むのか?」

ついに間近で見ることの出来た炎の王の瞳は、彼が愛した氷の王と同じ色をしていた。
それは暁のようであり黄昏のようでもある、ファイにとって何よりも特別な、世界の始まりと終わりの色だ。
金色の瞳に映る自分の姿はもはや攻撃する術を持たず、すべてを諦めているように見えた。

心は今を離れて、水底へ――。
ファイが目を閉じようとしたその時。

「昇竜閃」

乾いた空気を引き裂く斬光

阿修羅王は衣を切って寸手のところでかわして、剣戟の主の怒れる双眼を見止めた。

「その馬鹿野郎から離れろ」

「お前達が現れてからというもの退屈しないものだな」

言葉を継ぐように阿修羅王が放った火柱を黒鋼は一太刀で薙ぎ払うと、
音もなく間合いを詰めて王に蒼氷の片刃を突き付けた。

「こっちも退屈しのぎにはなってるぜ。」

「さすがだな。」

阿修羅王が追い詰められたかのように見えたその時。

「夜魔・天狼剣」

閃光とともに、圧倒的な力で月の城が揺れた。
阿修羅族の陣営が吹き飛ばされて、粉砕された岩が粉塵の如く舞い上がる。

月の光が視界を開くと崖の上からこちらを見下ろす竜に乗った人影が見えた。

「夜叉王か」


阿修羅王と夜叉王は互いにしばらく見つめあっていたが、意を決したように阿修羅王から仕掛けた。

空を駆けるようにふわりと跳躍して剣を構える。

紅蓮の炎の剣先が弧を描き、緑色の閃光が受け止める。

月の城の磁場に引き寄せられた想いは螺旋のように二つの剣に巻き取られ高まり交錯する。

強大な力がぶつかりあうとき、月の城は共鳴するかのように揺れた。

最後に勝負をかけて二人が切むすんだその刹那、ふと夜叉王が目を閉じた。
阿修羅王の表情にかげがさす。

交わす剣を離した阿修羅王の口から声にならない言葉がこぼれた。

「――それでも私には、できない。」


憂いを含んだ表情がひどく美しくみえたその時、月が天頂に届いた。


世界が翳る。

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