紅い石
アンバー 3
翌朝、身支度を済ませた詩人は書きかけの魔術書を抱えて仕事場を訪れた。
倉庫のテントの中では正義がいつもの場所に座って書き物をしていた。
キャラバンの倉庫の中は正義によって整然と管理されていて、移動の前日であっても特別準備することは無いように思えた。
人の気配に気づいた正義が顔を上げた。
「おはようございます。ファイさん。あれ、その本は?」
「私の本です。正義さんのおかげで返してもらえました。」
そう言って微笑んだ詩人は正義の向いの椅子に腰かけた。この数日の間、二人は昼間のほとんどの時間を一ここで緒に過ごしてきた。
「もう薬の作り置きも十分に出来たし、私が手伝うことが他になければ本の続きを書かせてもらおうと思って持ってきたのですが。」
「もちろん構いません。どうぞ。」
詩人は青い表紙の本を机に置くと、インクと羽ペンを取り出した。
正義が本を興味深そうにのぞき込んでいった。
「見たこともない文字だ。あなたの国のものですか?」
「そうです。ここで使われている文字とはずいぶん違って見えるかもしれませんね。
でも、言葉の仕組み自体は驚くほどよく似ているんですよ。」
詩人が本を勧めると、それを手に取った正義は次々とページを捲った。
「挿絵がたくさんあるんですね。これはアラベスクみたいな図形だな。」
「そうなんです。言葉で説明しにくい部分は読み手に想像してもらうのが本来の醍醐味なんですけど、この手の本ではそうもいきませんからねぇ。」
机に頬杖をついた詩人が、羽根ペンを弄びながら独り言のように呟くと、正義は夢中な様子で立て続けに言葉を次いだ。
「植物の絵もたくさんありますね。僕には、見たことが無いものばかりだ。これらは薬草ですか?」
「そこに描いてある植物は大体が薬草のようなものです。ここで使われている薬草に似たものもありますよ。これとか・・。そうだ。あなたが私に教えてくれた薬作りのコツを、追記させてもらえると嬉しいのですが。」
「それは構いませんが・・なんだか恥ずかしいな。僕はきちんと勉強したわけじゃないのに。」
「経験が生み出す知恵は、勉強で得られるものではありません。」
正義は、にっこり微笑んだ詩人に照れながら本を返した。
羽根ペンが紙の上を滑って不思議な文字を綴る様を眺めながら正義が言った。
「ファイさんって不思議な人だな。時々、僕達の何倍も生きてきた魔法使いみたいに見えることがあります。」
(えっ?!)
思いがけない言葉にペンが止まった。詩人はこの時すでに100年近く生きていた。
正義は詩人の動揺に構わず言葉を続けた。
「僕の父も時間を見つけてはそうやって本を書いていました。父はもともとトレジャーハンターで、伝説の武器を探し求めて旅をしていたそうです。砂漠を渡る旅の途中で盗賊団に襲われて身ぐるみを剥がされても荷物に食らいついて離れず、そのまま居座った盗賊の国で武器屋を営むようになったと聞きました。」
「それは・・ガッツのある父上ですね。」
「はい。いつも元気でとてもパワフルな人でした。少し頑固でしたけどね。」
臙脂色の帽子を頭にちょこんと乗せた人懐こい笑顔。青と白の縦縞のチュニックを着てリュックを背負った大きな背中。正義は懐かしい父親の姿を思い浮かべた。
「父は、飛王に引き立てられて組織の管理も任されていました。父は、もう何年も前に不思議なダンジョンのモンスターハウスで地雷を踏んで死んでしまいましたが、父が残してくれたノウハウはこうして僕の手元に残っています。」
正義は仕事の道具入れにしている木箱から一冊の古びた本を取り出して詩人に手渡した。
この国の文字も大体分かるようになっていた詩人は、本を手に取り目次を開いた。
タイトルは『 商売繁盛 ゆたかなくらし 必ずお店が儲かる5つの魔法 』
――トルネコ著
第1章 4Gの薬草こそ徹底的に管理する
第2章 先手必勝!〜 だけど先立つものはお金
第3章 引き際を見極める
第4章 信頼関係が生み出す相乗効果
第5章 本当の豊かさとは〜 " しあわせの箱 "
本は読みこまれてボロボロになっており、ところどころに焼け焦げた跡があった。
「僕は父の死に目には逢えなかったけど、飛王はその時に父が身につけていたものを手厚く葬ってくれました。この本もその時の遺品の一つです。
飛王は恐ろしかったけどとても頼もしい王様で、父は王に忠義を尽くしていました。父は思ったことを溜めておけない性分だったので、飛王に対して臆面もなく意見して衝突することもしばしばでしたが、今思えはあれも信頼関係があってこその事でした。父と僕は血のつながりはないけれど、僕はあの店で父の細やかな仕事ぶりを見て育ちました。鷹王と一緒ですね。」
ここから正義は少年時代の幼馴染の話をした。
「その頃の鷹王は盗賊の国の王子でした。子供の頃から鷹王の剣の腕は大人顔負けだったけど、実は一番初めの稽古の相手は僕だったんですよ。だから彼はよく僕の家に遊びに来ました。成長してからも、時々ふらっと店をのぞきに来て、飛王と衝突してふてくされている父には『そろそろ機嫌直せよ』って笑って声をかけてくれました。父は『子供のくせに生意気だ』ってそっぽを向くんですが、鷹王が適当な買い物をして帰った後には、機嫌はすっかりなおっていました。」
正義の思い出話が続くのを、詩人はただ黙って聞いていた。
「鷹王はいつも飛王の側に付いて王を守っていました。・・僕はあの時、運河の街で何があったのかは知りません。だけど、彼は王を守るための選択をしたんだと思います。つらい選択を。僕には戻ってきた鷹王が、国を捨てて一人になりたがっているように見えたから。
だけどそんなことは誰もさせなかった。残っていた盗賊はみんな鷹王について行くと言いました。だから彼は、土地は無くても王様なんです。
それから僕は鷹王に組織の管理を任されました。今でも迷うことばかりですが、この本は今の僕に父の言葉の意味を教えてくれます。これは父の冒険の記録でもあるんですよ。」
強い意志を宿したつぶらな瞳は詩人の手元に移った。
話に聞き入っていた詩人が本のページに目を落とすと、最終章は書きかけのまま途中で終わっていた。
「"本当の豊かさ"っていうのは・・?」
「一見無駄に見える事も、回り道も、実は意味のあるたいせつなものだってことです。」
たぶん、ですけどね、と正義は微笑んだ。
「盗賊自体が無駄なものなのかもしれません。僕らの王が砂漠中の国でお尋ね者になっているように、盗賊は人の恨みを買う職業です。だけど僕たちはこうして生活をしています。
このキャラバンは年々大きくなりました。鷹王は自分で身を守れる者しかここに居る事を許さないけど、それでも今の組織が移動生活をするには大きくなりすぎたって解っていると思います。だけど結局は誰の指図も受けない人だから、僕は彼が選ぶのを待っています。」
穏やかな口調でそう言った正義は、机の上の紙束に視線を移した。
「明日からまた移動です。それまでにもう少し帳簿の整理をしておかなければなりません。
ファイさんとも明日でお別れなんですね。まだあなたと話したいことが沢山あります。寂しくなるな。
鷹王は僕に、自分の留守中にあなたから目を離さずに守るようにと指示しました。彼にとってあなたは最初から特別だったんです。
もし次にファイさんに会えるときには、僕らはどこかで落ち着いて暮らしているといいな。その時のために僕は蓄えをしているんです。みんな『盗賊らしくねえ』って笑うけど。」
詩人は優しい盗賊の大切な指南書をそっと木箱に戻した。
そして、彼の言葉の端々に、盗賊王の面影を探している自分に気づいた。
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既に盗賊たちが食事を済ませて出払ったあと、詩人は厨房のテントに食事を取りに行き、怪我をした笙悟のチームのメンバーを見舞った。
治療と食事を済ませて正義の元に戻ろうとすると、緑色に光る妖精がテントの群れをふらふら飛んでいるのを見つけた。
「今日は盗賊王と一緒じゃなかったのかな?」
詩人が声をかけると、うつろな顔で振り返ったプリメーラはじろりと睨みをきかせて言った。
「いつも一緒ってわけじゃないわよ。」
機嫌が悪い女の子の相手がとても苦手だった詩人が、声をかけたことを少し後悔しながら黙り込むと、うつむいた妖精が言った。
「彼と、けんかしたの・・。」
「君と、盗賊王が?」
「そう。今朝、鷹王がなかなか起きてこなかったからあたしはベットまで様子を見に行ったの。めずらしく鷹王が一人で眠っていたから、あたしは頬にとまって彼の顔を覗き込んだわ。目を閉じててもすごくハンサムだった。だからあたしはおはようのキスをしたわけ。」
詩人がうんうんと頷いて話を促すと、妖精はいきなり甲高い声で叫んだ。
「そうしたら鷹王ったら、あたしを、叩いたのよ!そのあと寝ぼけた顔でなんて言ったと思う!?『なんだお前か。虫かと思った。』ですって !!」
頬をふくらませた妖精はこぶしを握った手を突っ張らせて怒った。
これには詩人にもフォローの言葉が見つからなかった。
しばらくぶんぶん飛び回った妖精はようやく落ち着いてから言った。
「話したら少し楽になったわ。悲しいのはそのあとなのよ。いつもだったら、あたしが怒ってるときは『機嫌なおせよ』って声をかけてくれるのに、今日は違ったの。あたしが何を言っても無視してさっさと支度して出かけちゃったのよ。鷹王が寝起きに機嫌悪いのはいつものことだけど、それにしても今朝はイライラしていて様子がおかしかったわ。何か嫌な予感がする・・。無理にでもついていけばよかった。」
詩人は手を差し出して言った。
「じゃあオレ達と一緒に彼を待とうか。」
妖精がてのひらに降りるのを見守ると蒼い瞳が優しく微笑んだ。
「一人でいるともっと心配になってしまうからね。」
歩き出した詩人の肩にちょこんと座った妖精は、肩先で揺れる柔らかい金の髪を横目に眺めて呟いた。
「鷹王は今日あなたに『行かないで』って言うかしら?」
「ん・・何か言った?」
「何でもない。・・彼は救いようもないリアリストだから、あなた達みたいなロマンチストに惹かれるのね。」
***************** 以下 2009/04/18 追記分 *****************
妖精はせわしなく部屋中を飛び回った。
それが気になって仕方ない詩人は、本を書くことをあきらめた。
プリメーラの存在にまったく気づかない様子の正義は黙々と仕事を続けた。
日が暮れかけた頃に、外で馬の蹄の音がした。
まもなく倉庫のテントに戦利品を運び込んできたのは、草薙のチームのメンバーだった。
時をあけずに、笙悟のチームも騒がしく戻ってきた。
このオアシスに滞在中の最後の仕事を終えた盗賊たちが引き上げてしまうと、倉庫は再び静かになった。
正義は、天幕の窓を下ろしてランプに灯を燈した。
「今日に限って盗賊王は遅いですね。」
次第に妖精の心配が移ってきた詩人が言った。
「そうですね。何かあったのかもしれません。」
「なぜ、そう思うのですか?」
「こんなことは今まで無かったからです。だけど、僕らに出来ることは待つことくらいですから、ここで王の帰りを待ちましょう。」
辺りがすっかり闇に包まれた頃、テーブルの端っこに脚を組んで座っていた妖精が急に顔を上げた。
「鷹王が帰って来たみたい。」
詩人はすぐに立ち上がって外套を羽織った。
「正義さん、外に出ましょう。」
程なく、外が騒がしくなった。
正義はランタンを持って外に出た。
胸騒ぎを煽るような強い風。
雲隠れの月。
ローブの胸元を握り締めた詩人は、暗闇の雑踏のなかで目を凝らした。
いつものように盗賊王の影を探すが、見つからない。
かわりに、馬に乗って引き上げてきた盗賊たちがひどく疲弊していることに気づいた。
様子がおかしい。
すると盗賊の一人がまっすぐこちらにやってきたので正義が声をかけた。
「火煉、何かあったのですか?」
馬上の盗賊はもどかしげに顔を覆った布を引き下げた。現れた顔は蒼白で、彼女の手は血まみれだった。
「今日襲った集落の奴ら、手練れが多くてひどく抗ってきたから・・皆殺しよ。泥沼だったわ。」
正義の全身に緊張が走った。
「やらなければこっちがやられてた。」
一度目を伏せた盗賊の女性は再び真っ直ぐに正義を見た。
「私達は全員戻っているから心配しないで。ここは任せてあなたは早く鷹王の側に行って頂戴。」
彼女の整った顔が苦しげに歪んだ。
「ひどい怪我をしているの。」
それを聞くなり、正義は弾かれるように駆け出した。
あわてて後を追おうとした詩人は背中で火煉の声を聞いた。
「なぜ、あんなことを・・」
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玉座の裏から王の私室に入ると、盗賊王は数人の盗賊に囲まれて自分の椅子に座っていた。
部屋にこもる血の匂い。
辺りの空気を痺れさせる程ざらついた気配を纏った王の表情はぞっとするほど冷たく、大量の返り血を浴びたのだろうその姿が、詩人の目には恐ろしく、近寄りがたく映った。
正義の姿に気づいた盗賊達は、固い表情のまま軽く会釈をして去った。
王の右手に厚く巻かれた新しい包帯は既に血に染まっている。
「あなたが傷つくなんて、なんて事だ・・」
今まで乱れることのなかった正義が崩れる様を詩人は黙って見守った。
妖精は自分の羽で飛ぼうとはせず、詩人の肩にしがみついていた。
「大袈裟だ。死にはしねえよ。」
王に歩み寄った正義は、腕の付け根に留められた止血の包帯の状態を確かめながら聞いた。
「一体何があったというのですか?話してください。」
「今日は、はずれだった。それだけだ。」
鷹王は、一瞥もくれずに応えた。
「もう手当ては済んだから、お前らも下がれ。明日は予定通り移動する。飲みたい奴は勝手にやれと言っておけ。」
「お願いですからそんな勝手を言わないでください。」
正義が包帯をきつく締めなおすと、王は顔をしかめた。
「僕にここで待つよう言いつけたのはあなたです。あなたの状態が落ち着くまでは下がりませんよ。」
鷹王の顔に苛立ちが浮かんだが、それはやがて気だるげなため息と一緒に消えた。
「・・残らず片付けたと思ったんだが、引き上げる前に子供が飛び込んできた。」
「子供にやられたとでも?」
「子供っつってもお前よりは上背があったぞ。」
「・・・」
「正面から俺と刺し違えるつもりで斬りかかってきやがった。馬鹿な奴だが、いい度胸だ。・・目の前で村が滅ぼされたんだから、無理も無えか。」
喋ることさえ億劫になった様子の鷹王は、一旦背もたれに体を預けてから続けた。
土気色の顔にはうっすら汗が浮かんでいる。
「そいつと一瞬目が合って――油断した。」
強い眼差し。
琥珀色の瞳。
「・・あいつは、生きてりゃ強くなったかもな。」
感情の入らない端的な言葉がそれきり途絶えてしまうと、正義は、もうそれ以上問い詰めようとはしなかった。
「・・・・そうですか。」
二人のやり取りを心配そうに見守っていた緑色の光が鷹王の肩に降りるのを詩人は目で追う。
妖精は、まるで空気のような存在だった。
それでも今まで一緒に過ごしてきた時間と同じように、彼女は鷹王の側から離れないし、正義は王を独りにはしないだろう。
王の右手の様子を見て正義が言った。
「駄目だ血が止まらない・・。ファイさん、すみませんが薬を持ってきてください。」
「そうですね。でも、その前に傷口を見せてもらえませんか?」
正義の前に進み出た詩人は王の前にひざまずくと、傷ついた手を取った。
王の気配が尖り、痛みをこらえる浅い呼吸が伝わる。
近くにいても埋めようの無い心の距離を苦しく感じながらも、迷わず一気に包帯を解いた詩人は、あらわになった創傷の痛々しさに息を呑んだ。
かろうじて形を留める血まみれの手の平から甲までを貫く深い刀傷。
薬など気休めにしかならない。
「・・これでは傷が癒えても、あなたの手は元通りには動かないでしょう。」
王は何も答えない。
傷口から流れ落ちる血が、白いローブの袖を染めた。
「あなたは、自分と刺し違えるつもりで飛び込んできた少年の剣を、手のひらで受け止めたのですね。」
抉られたような傷口の形が情景を物語っていた。
その後、さらに向かって来ようとする相手を剣もろともねじ伏せて、それから・・
「そうまでしてどうして 人を殺めるのですか?」
縋る気持ちで詩人が見上げた王の目はひどく冷たく、胸に刺さった。
「俺は向かってくる奴は殺すし、守るべきものを奪おうとする奴も殺す。他に理由が必要か?」
「それでも、今日のあなたは迷い、傷つきました。」
悲しくて折れそうになる心を押して、真っ直ぐに王の目を見つめて続けた。
「罪なき人々を殺めてきたあなたは、いつかその咎を負わなければなりません。それでも神は、すべての者の前で平等で、寛容です。」
鷹王の手を両手で包み込んでそっと引き寄せる。
「盗賊の王様、あなたはいつでも違う道を選ぶことができます。あなたの大切な人たちの為に。」
" だからどうか その痛みを 分けてください "
王の前にかしずいた詩人は、傷ついた手の甲に口付けた。
柔らかい光が辺りを包む。
淡い紫色の光が消えると、王の傷はまるで無かったかの様に消えてしまった。
正義は、呆然と立ち尽くしていた。
すると、鷹王の厳しい声が降ってきた。
「詩人、今、何をした?」
詩人は混乱した。
「私は何も・・特別な事など・・」
自分でも何が起きたのか解らないまま力なく首を振った。
魔法は使っていないし、そもそも 使えないのだ。
ただ、自分がしたことが、鷹王をひどく怒らせた事だけは分かった。
「ここで二度とその力を使うな。お前の力は理を乱す。
出て行く支度をしてこい。今すぐだ。」
王は有無を言わせない口調で言った。
「下がれ。」
その声には、強い拒絶の響きがあった。
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→ルビーにつづきます。
♪お付き合いくださってありがとうございました♪つづく