紅い石


アンバー 1

それからの数日間、詩人は朝起きると水場に祈りを捧げ、昼間は正義の仕事を手伝い、夕刻から始まる宴席では歌を唄い、夜は例の騒音が聞こえてくる前に魔法の薬を飲んでぐっすり眠った。
馴染めないと思った盗賊との共同生活にも、意外な程すんなり慣れてしまった。
きっかけは盗賊たちに受け入れられたことで、いつしか詩人は良くも悪くもストレートな盗賊達の言葉に興味を持つようになっていた。



詩人の治療を受けた盗賊たちは、それぞれお礼の品を贈ってくれた。
その時に皆が口をそろえて「鷹王には内緒だぜ。」とこっそり言うのが可笑しかった。
詩人は枕元にバーカウンターのようにいろとりどりの酒瓶を並べて眠った。
大怪我を負った笙悟のチームのメンバーも順調に回復していった。
宴席で顔を合わせると笙悟は詩人に言った。
「あいつら本当にあんたには感謝してるみたいでな、あの様子だとそろそろ朝晩祈り出すかもしれねえ。」
「祈りは良い習慣です。」
「もしそうなったら商売あがったりだぜ。」
詩人は裏表の無い笙悟の笑顔が好きになっていた。



宴席では、これまで見てきたマハラジャの豪奢な生活を盗賊言葉で風刺した歌を唄った。
これは盗賊たちに大いに受けて、飲みながら皆で一緒に歌った。
新曲を披露するたびに盗賊たちがお腹を抱えて笑ってくれるので、唄っている詩人も笑った。
また、替え歌の原曲が讃美歌だったので、セレスの弟子たちが聞いたら違う意味でひっくり返るだろうなあと思うとさらに可笑しくなった。

草薙は機嫌良い時に替え歌を口ずさんだ。
「あんたは、例の石を見つけたら行っちまうのかい?」
「はい。石を故郷に持ち帰る事が私の旅の目的ですし、もう時間もありません。」
「そうか。寂しくなるな。」
詩人は初日に見た『紅い石』に対する盗賊たちの過敏な反応が気になっていたので思い切って草薙に聞いてみた。
「草薙さんは、石の事をなにか知っていますか?」
「残念だが俺も「あれ」が何なのかはよく知らねえんだ。鷹王は誰にも話さねえ。」
草薙は眼を伏せて続けた。
「鷹王にはちょっと人間離れしたとこがある。あんたなら見てればわかるよな。最近は多少丸くなったが、ガキの頃から"生まれつき王様"みてえに振舞ってた。あれからもう、ずいぶん経つが、俺らから何を聞いたって、無駄だった。」
草薙はそれ以上話すつもりは無いようで、それきり口をつぐんでしまった。
詩人には草薙の寂しい気持ちが伝わった。
若い盗賊王を気遣う側近の想い――。



数日の間、詩人は鷹王とまともに話す機会はなかった。
日ごとに盗賊の標的になる集落はオアシスから遠くなるようで彼らの帰りは遅くなった。
鷹王の部隊は他の部隊を見送った後、最後に出発して一番最初に戻ってくるのが決まったパターンだった。
辺りに闇が迫る頃、黒い盗賊の集団が戦利品を抱えて帰ってくる。
詩人が正義に連れられて出迎えると鷹王は返り血のついた頭巾とスカーフを外して、馬上からいつものように笑ってみせる。
正義と一言二言言葉を交わし、詩人には何か変わったことがなかったかと問うた。
強い風が吹くと鷹王は襟先を開き、緑色の光がそこに飛び込んだ。
闇色に溶ける外套をなびかせて走り去る、いつも変わらない光景。

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酒宴が早めに切り上げられたある日、詩人は王の部屋に呼ばれた。
詩人が部屋に入ったときには、鷹王は大きなテーブルを囲んで次の移動の打ち合わせをしていた。
詩人に気づいた鷹王が言った。
「こっちに座れ。お前のおかげで予定通り出発できそうだぜ。」
笙悟が振り向いて笑顔を見せた。
「ありがとな。ファイさん。」
「じゃあもういいな。他になんかあるか?」
正義が懐から羊皮紙を出して広げた。
「商人ギルドの代表から書簡が届きました。」
「何だって言ってきた?」
「えーと、まずこの間のお礼と、例の件の返事を聞かせて欲しいって。それから、もう一度ここに来るって話は、都合がつかなくなったそうです。泊まりがけの外出はしばらく奥さんが許してくれないって。だから、次に運河の街に来る日取りを知らせてください、夜はおもてなししますよ。と書いてあります。」
鷹王はイラっとした顔を見せた。
「あのタヌキジジイ。」
珍しく草薙が鷹王に突っかかった。
「なんだよ例の話って。聞いてねえぞ。」
「こないだ来た時、俺らに港の警備をやってくれと言ってきた。最近海賊がうるせえらしい。」
「何だって?商人とつるむなんて俺ぁゴメンだぜ。」
「ああ、分かってる。当然断ったが脅しが足りなかったみてえだな。」
笙悟が頭の後ろで手を組んでおどけた調子で言った。
「よっぽど困ってるんじゃねーか?つけこんでやれよ。」
鷹王は正義が持っている手紙を指差して言った。
「とりあえず正義。俺の名で返事を書け。」
「盗賊対海賊に関しては、ギャラの如何にかかわらず却下。ナンセンスすぎるぜ。もう一遍同じことを言いやがったらその口にてめえの×××突っ込んで黙らせる。これは警告だ。と書いとけ。」
納得した顔で草薙が頷いた。
「まあ、文面としては妥当だな。」
「それから、約束の日程をくだらねえ理由でたがえるようなら今後一切取引はしねえ。てめえの女なら突っ込んで黙らせろ。その上で来るか来ないかはどっちでもいい。と書いとけ。」
笙悟も納得して頷いた。
「親身なアドバイスだと思うぜ。」
「それから運河の街に行く予定は未定だ。ただし俺があの場所へ行ったら忙しくてジジイどもの相手をする暇なんざ無え。特に夜はな。」
「乾く間も無えってやつだ!」
笙悟がそう言うと、3人の盗賊はげらげら笑って正義は目を吊り上げた。
「ふざけないでください!!」
「ふざけちゃいねえよ。正義。お前はよくやってくれてる。ただ、俺らはカタギじゃねえ。親父の代からの付き合いがあるからあいつらが来るなら会ってはやるが、そもそも同じ土俵で取り引きする気はねえんだよ。だからお前もその辺はブレねえように振る舞え。な。」
「正義、商人を金づるにするのは程々にしろよ。」
「このままじゃお前のため込んだ金で移動中に車輪が壊れるぜ。」
悔しそうにうつむいた正義に鷹王が言った。
「・・ったく、まあいい。文面はお前の好きにしろ。だが、趣旨は違えるな。」

詩人はぼんやりそのやり取りを眺めて盗賊言葉の替え歌を作ったことを後悔した。
いつの間にか彼らに仲間と認められた気になっていたが、それは自分が鷹王の所有物だからだった。
盗賊王は、世間とは明らかに一線を引いて彼らを守っていた。


「じゃあ俺らは行くぜ。」
話が済んだところを見計らって草薙が言うと笙悟も正義も後に続いた。
部屋には鷹王と詩人と緑色に光る妖精が残った。

妖精が心配そうに覗き込んできたので、詩人は精一杯の笑顔を返した。
すると鷹王が驚いた顔で言った。
「お前、それが見えるのか?俺以外には見えねえモンだと思ってた。」
「はい。とても可愛らしいですね。」
鷹王は緑色の光をちらと見て笑った。
「そうだな。俺が迷わず水辺に移動できるのはこいつが先導してくれるからだ。」
妖精に頬ずりされた鷹王はこそばゆそうに顔を歪めた。
緑の光は嬉しそうに鷹王の周りを飛んでから金の鳥籠の傍に引っかけてあった袋の上で跳ねた。
「ああ、忘れてたぜ。正義に言われてたお前の荷物を返してやる。」
詩人は礼を言って自分の荷物を受け取ると中身を確かめた。
宝剣、書きかけの魔術書、羽根ペンとインク。
「ただしここで業物振り回すなよ。」
「私の剣は護身術ですよ。」
詩人が本を開くと鷹王と妖精が一緒に覗き込んできた。
「何の本だ?」
「これは・・学術書のようなものです。私は国に戻ったら本を仕上げて城の書庫に納める予定でいます。」
「お前が学術書っつうのは似合わねえな。」
鷹王はそう言って詩人の反応を待った。
普段の鷹王は会話のテンポが速いので詩人にうまく返答できない事が多いが、二人でいる時に限って王は詩人のペースに合わせてくれた。
「・・実は、私が書いた学術書、とはいっても魔術書ですが、数は多くありません。私は本来、主観を混ぜない文章を書くことが得意ではないのです。」
鷹王が黙って聞いているので詩人は続けた。
「私がこれまでに書いてきた本のほとんどは、子供向けの童話です。」
教会の司祭であるファイ・D・フローライトはいくつかのペンネームを持ち、童話や戯曲を書いていた。
ヨハン・シュトラウス・ホッペの名で書いていた絵本シリーズ『怪物のすてきななまえ』
フジ子フローライト_D のライフワーク『D衛門』1巻から120巻まで
シェイク☆スピアの戯曲、代表作は『真冬の朝はいとおかし』

しかし、物語の創作は兄弟の死からぴったり止めてしまった。

「私が童話を書くようになったきっかけは、子供の頃に兄弟に聞かせたおとぎばなしです。双子の兄弟が喜んでくれる顔が見たくてわたしは次々と新しいおとぎ話を考えては二人で一緒のベットで眠りにつくまで話しました。」
鷹王が静かに聞いているので詩人は続けた。
「私の王は、私に戯曲を書くことも勧めてくれました。国で上演される劇は恋の話が多かったので、私は兄弟の経験談から想像して脚本を書きました。私の兄弟は社交界で浮名を流すプレイボーイで、たくさんの恋をしていました。」
使い込まれた羽根ペンを見つめた詩人は、双子の兄弟がパーティーで逃げ回る姿を思い出して少し笑った。彼はかわいい女の子を見つけては口説くので、人が集まる場では度々騒ぎになった。
そんな彼を、眉をよせたアシュラ王は困った顔でたしなめたものだった。
「私が今まで書いてきた本は兄弟を映す鏡のようなものです。」
最愛の兄弟に語り聞かせた物語。彼の恋を歌う詩。
「わたしは人を想う心を綴る文章を好んで書きました。しばらくそういうものを書く気持ちにはなりませんでしたが、次元を渡り、今までにない文化に触れて刺激を受けました。特にここで使われる言葉は、表情豊かで興味深いです。」
勢いづいた詩人は鷹王を見て言った。
「とりわけあなたの言葉はシンプルでスマートで、とても魅力的です。」
言ってしまった後で恥ずかしくなった詩人は小さな声でつづけた。
「・・そのままで戯曲になりそう、という意味です。」
詩人の様子を見た鷹王は口の端だけで笑った。
「盗賊の戯曲か。」
「そうですね。盗賊でもいいですが・・私があなたの物語を書くならば、あなたは物語の終わりに何者にでもなれます。」
詩人は鷹王に問うた。
「盗賊王、あなたは略奪以外の方法で旅団を守る方法を考えたことはありますか?」
それまでテーブルに肘をついて静かに詩人の話を聞いていた鷹王はプイとそっぽを向いて言った。
「めんどくせえ質問だな。お前、正義かよ。」
鷹王はしばらくしてから言った。
「正義は昔みてえに定住したがってる。だが俺は親父の土地は捨てて、キャラバン生活を取った。単純にリスクの問題だ。それでもあいつああ見えて頑固で諦め悪いからな。商人のくだらねえ誘いも真に受けちまう。」
「運河の仕事の事ですか?」
「ああ。だいたい俺は商人だろうがなんだろうが誰かに飼われるなんざまっぴらだ。
それに紅い海の運河は作ってるやつのセンスが無えから見てるだけでイラつくぜ。水の流れを分かってねえから季節が変われば簡単に干上がっちまう。俺だったら多少遠回りになっても地下水脈をつなげて作るな。水が流れりゃ集落ができる。それが本来の順番だ。」
「それならばあなたが造ればいいではないですか。」
ここで鷹王は顎に手を当てて考えた。
「そうだな。俺らが他に馴染めそうな仕事っていったら土方かもな。」
「あなたの監督は厳しそうですね。」
「意外とキッチリやるぜ。って言うだけはタダってやつだ。実際は余計なこと考えてる暇はねえよ。食ってくだけで精いっぱいだ。」
若い盗賊王が最優先して考える事は、盗賊団のメンバーを守る現実的な方法だった。
「詩人、王様も楽じゃねえんだぜ。ここには今、俺を殺して王になろうなんざ考えそうな奴はいねえ。不甲斐ねえなあ。俺ぁ殺られるときは正面から一突きにされたいぜ。」
溜息をついた鷹王は独り言のように言った。
「・・親孝行も楽じゃねえな。」
王の肩先で妖精は悲しい顔をした。
「詩人、付き合えよ。」
鷹王はグラスを二つ取り出した。


鷹王が水色のスピリッツの瓶を取り出したので詩人はあわてて止めた。
「待ってください。あの・・それとは別のお酒にしてもらえませんか?」
「ああ?・・ったくめんどくせえやつだなあ。」
文句を言いながらも部屋の隅にある木箱をがちゃがちゃとひっくり返し出した盗賊王は、しばらくして一本の古びた酒瓶を取り出した。
そして埃っぽい瓶のラベルを拭うと、目を細めて言った。
「・・凄え酒が見つかった。」

勧められるままに、グラスに注がれた酒を口に含んだ詩人は目を丸くした。
熟成された琥珀色の液体の中から立ちのぼる葡萄と柑橘の華やかな香り。
今まで味わったことのない重厚で芳醇な香気のコラール。
鷹王は詩人の表情を愉しげに眺めた。
「気にいると思ったぜ。そいつはお前くらいわがままで傲慢な男の酒だ。」
そう言って静かにグラスを傾けた鷹王は、しばらくの間何も話さなくなった。
詩人が沈黙に耐えられなくなった頃、鷹王はテーブルの上に乗せられた詩人の本を手に取るとおもむろに開いた。本には呪文のように細かい文字がびっしり記されており、ところどころに道具や植物の図解が入っていた。
「お前は国に帰ったらこれを納めるところに納めてから消えようって算段か。」
詩人は責められているような気持ちになったがあえてはっきりと答えた。
「そうです。紅い石を手に入れたら、その効能をありのままに記してこの本を仕上げるつもりです。その後に私の存在は消えてしまうかもしれませんが、本は私の大切な人たちのいる世界に残ります。」
「やっぱりお前は傲慢な奴だ。」
詩人が何も答えないでいると盗賊王は続けた。
「俺らは明日ここで最後の仕事をして次の朝には発つ。お前の脚の怪我も治ったみてえだし、明日の夜には約束通り石の在処を教えてやろう。確実な場所だ。だが詩人、石の力を使う前にお前自身が選べ。過去か、今か。その為に蘇りの石が何なのかを今教えてやる。」
はっとした詩人が顔を上げると、鷹王の鋭い目が冷たく光った。
「俺が殺しそこなった石の話を な。」

♪お付き合いくださってありがとうございました♪つづく


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