紅い石
エメラルド 2
翌日、目覚めた詩人は水を汲みに川辺に出た。
水場の周りには植物が生い茂っている。
冷たい水で顔を洗った後には、しばらくの間、川の流れに祈りを捧げた。
何日か振りの朝の習慣は、ささくれ立った心を穏やかにしてくれた。
しかし戻ろうとした矢先、水場にある一番大きな木の上に盗賊王の姿を見つけてしまった。
幹にもたれかかって半ば寝そべっている彼は大きな山猫みたいに見えた。
せっかく落ち着いた心を再び乱されまいとした詩人が、気付かぬ振りでやり過ごそうとその下を通り過ぎた時、鷹王に呼び止められた。
「おい。」
「・・はい。」
「朝飯食ったか?」
「・・いえ。」
鷹王は木の上からリンゴを投げ落とした。
詩人は手を伸ばして受け取ったが、赤い実を見る目は無意識に訝しげになった。
「それは虫喰いじゃねえから安心しろ。」
「・・・。」
「毒が入ってるわけでもねえぞ。」
恐る恐る木の上を見上げると、リンゴをかじっている盗賊王の顔は気だるげで、目は半分くらいしか開いていない。
詩人はためらいがちに聞いた。
「ずいぶんと、眠そうに見えますが、そんなところであの、何をしてるんですか?」
「外の風に当たってた。朝は苦手だ。頭が働かねえ。」
「そうですか・・。」
(それならもっと早く休めばいいのに。)
恨み言を飲み込んだ詩人がリンゴの礼を言って立ち去ろうとすると鷹王が言った。
「詩人、俺を避けるなよ。」
鷹王は、不機嫌というよりも子供みたいなすねた顔を見せた。
「別に、避けてるわけではありません。・・ただ・・あなたと私では住む世界が違いすぎます。」
「なんだそれ。俺ぁお前に求婚してるわけじゃねえぞ。」
鷹王は溜息をついたあと、少し考えてから言った。
「そういやお前は神官だったな。人殺しとは目も合わせたくねぇってことか。」
「・・・。」
詩人が何も言えずにいると鷹王が言った。
「あれは盗賊の掟だ。略奪は俺らの稼業だが、仲間内でやっちまうと収拾がつかねぇだろう。」
盗賊王は昨日の夕暮れのことを説明しようとしていた。
詩人が再び木の上を見上げると鷹王は言葉をつづけた。
「だからここで盗みをした奴は殺すし、殺しをした奴は同じ方法で殺す。一番ひでぇのは間諜の罰だ。仲間を売った奴には目と耳と口から溶けた鉛を流し込んでから放り出す。」
詩人の表情がこわばった。
木の上から詩人を見下ろす鷹王はおどけた口調で言った。
「いい趣味だろ?全部親父が考えたんだ。」
「親父?あなたの父上も盗賊王だったのですか?」
「ああ。アゴの割れた不細工なおっさんだったが、そりゃあ強かったぜ。」
鷹王は懐かしげな遠い目をした。
「掟を作ったのは全部親父だ。頭使わず誰にでもわかるように単純にできてる。だが俺が王になってから一つだけ変えた。盗みを働いた奴は罰として利き腕を斬るか片目をつぶすが、一度目は赦す。ここの連中のほとんどは、それなら殺された方がマシだと言うがな。」
鷹王は続けた。
「これにもちゃんと意味はある。一度失ったものは戻らねえと割り切った上で復帰した奴は強い。
だが、変われなかった奴はあの通りだ。・・あいつは仕事にも戻れなかったな。」
鷹王は自分の食べかけのリンゴに目を落とした。
「これは集団生活のルールだ。俺もいつ殺されるかわからねぇ。『王を殺した奴が次の王』だからな。俺は草薙や笙悟に殺される気はしねぇが、正義にだったらうっかり後ろからやられるかもなぁ。」
ここまで聞いたところで、詩人の胸に恐ろしい疑問が浮かんだ。
「つまりあなたは・・父親を殺したのですか?」
鷹王は遠くの景色を見ていた。
「そうだ。この盗賊団は親父が作った。親父はここにいる間は誰にもひもじい思いはさせねぇと言っていたが、最期おっさんは狂っちまった。」
鷹王の目が冷たい光を帯びた。
「だから 俺が殺した。」
詩人は押し黙った。
そこに盗賊王なりの理由がある事は理解したが、やはり住む世界が違いすぎる。
詩人には到底理解できない盗賊の理を聞いて、一刻も早くここから立ち去りたいという思いが強くなった。
しかし『蘇りの石』の情報を手に入れるまではなんとか調子を合せて耐えなくてはならない。
「そんな辛気臭い顔すんなよ。ここにもルールがある。それがお前を守る。俺らが誰彼かまわず殺しをするのは仕事に出た時だけだ。」
「・・それがいやなんですよ・・。」
詩人が小さな声でぼやくと鷹王はいつもの調子で笑って言った。
「それも今日は休みだぜ。だからお前も来い。」
鷹王は勢いよく木の上から飛び降りると、強引に詩人の腕を掴んだ。
詩人が鷹王に引きずられて集落の中に戻ると、盗賊たちは大きめのテントを崩して地上7〜8メートル程の場所に足場を組んでいた。
足場の丸太はまっすぐだが細い。
何かのイベントが始まるらしくその下には大勢の盗賊が集まっていて騒がしい。
そこには正義の姿もあったし、踊り子達もいた。
踊り子達は鍛え上げられた体に地味な色の装束と軽い防具を身につけて腰にはサーベルを吊っている。
詩人はむしろこちらが彼女達の本来の姿なのだと理解した。
彼女達もまた盗賊なのだ。
「何が始まるんですか?」
詩人が聞くと鷹王が答えた。
「まあ、鍛錬の一種だな。」
盗賊達がこちらに気づくと鷹王の方から声をかけた。
「今日は俺も出るぞ。」
盗賊達は口々に反論した。
「そりゃ聞いてねえよ。鷹王はいつも野次専門だろう。」
「たまには混ぜろ。」
「鷹王が出るのは反則だ。オッズがたたねぇよ。」
「じゃあ、俺は片足は着かねぇ。それで文句は無えな。」
鷹王は聞く耳を持たず、梯子の下で準備していた盗賊を押しのけて足場によじ登った。
片足一本で丸太の上に立った鷹王が半月刀を抜くと、盗賊の女性陣からは歓声が、男性陣からは激しいブーイングが沸き起こった。
丸太の反対側にいた盗賊は急に変わった対戦相手にすっかり呑まれている。
鷹王は抜き身の長剣を肩に担ぐとにやりと笑って相手を喰った調子で言った。
「受け身くれえはしっかり取れよ。」
これから始まるのは鍛錬とは名ばかりの、真昼の公開決闘でギャンブルだった。
酒を飲みながら騒ぎ立てる観衆の顔ぶれから察するに鷹王のチームは略奪の仕事が休みなのだろう。
取り残された詩人がふらふらと歩いて正義の隣に座った時、決戦の火蓋が落とされた。
『Set Go!』
木の上の盗賊は腹をくくって王に斬りかかった。
その攻撃を十分懐に引きつけてかわした鷹王は黒いマントを外して翻した。
。
一瞬二人の視界をふさいだ外套が消えると、しゃがんで足場に手をついた王は、身構える盗賊の足元を素早く片足で攫った。
悲鳴と歓声が上がる。
「次ィ!」
次の相手になった盗賊は、はじめから突進してむやみに斬りかかった。
「力抜けよ。」
鷹王は片足でぴょんぴょんと後退しながらそれを剣先で受け流した。
盗賊が大ぶりになぎ払った剣を上体をそらしてかわした鷹王は、片足で踏み込んで後転飛びしながら相手の刀を蹴って弾き飛ばした。
片足で着地した鷹王はサーベルの切っ先をぴたりと相手に向けると首を傾げて笑って見せた。
「まだいけそうか?」
勝負にならないまま次々と鷹王の相手が変わっていく。
詩人は隣に座っている正義に溜息交じりに話しかけた。
「彼はいつも楽しそうでねすぇ。」
正義は盗賊王の姿を見上げたまま言った。
「きっとあなたにいいところを見せたいんでしょう。」
「え?」
「鷹王があんなふうに誰かのご機嫌をとってる姿なんて初めて見ましたよ。」
詩人は再び高い木の上で繰り広げられる決闘をぼんやり見上げた。
大柄な鷹王が身軽に動く様は迫力がある。
身をひるがえして攻撃をかわす姿は相手の動きに合わせて踊っている様に見えた。
盗賊の女性達のサーベルダンスも艶やかで美しかったが、盗賊王の剣の舞は圧倒的だった。
(綺麗だな。)
詩人は頭の中でフラメンコギターの曲を思い描いた。
交わす剣が弾くリズムはラスゲアド、しなやかな動きを追って長い帯が揺れる様はファルセータ、止めは鮮やかなピカードだ。
―― Passionate Rhythm
「やっぱり強いなぁ、黒鋼は・・。」
正義は憧憬のまなざしで王を見上げた。
「くろがね?」
「あっ、今僕が言った事、秘密にしてくださいね。この名で呼ぶと間違いなく怒るから。」
「彼の名は・・黒鋼というのですね。」
詩人はその名の響きに何か懐かしいような不思議な感覚を覚えた。
「そうです。鷹王っていうのは冠名なんです。砂漠の盗賊王はだいたい鳥の名を名乗ります。ちなみに前王の名は飛王と言いました。」
詩人は王の話を思い出した。
「盗賊団のルールの話を聞きました。彼は―― 父を殺したと。」
「そのことを鷹王はあなたに話したのですね。」
「今朝、聞きました。」
「飛王と鷹王は血のつながった親子ではありません。鷹王の姿は他の皆と違うでしょう?彼は『紅い海』の反対側の国の生まれだと聞きました。そこで飛王はある集落を襲って・・。当時の私たちのやり方は、怨恨を残さないように襲った集落の者は皆殺しにしていたんです。だけど飛王は何を思ったのかその国から攫われてきた子供を売らずに手元に置いて息子として育てました。それが鷹王です。彼は自分の故郷の事は覚えていないはずです。ここに来たときは、まだ生まれて間もない赤ん坊だったから。本当に可愛かったんですよ。今でも変わらないのは髪型くらいだ。」
思い出したように笑った正義を見て、詩人の胸に疑問がよぎった。
「正義さんは・・盗賊王が攫われてきた時のことを覚えているのですか?」
「ええ。はっきりと。鷹王は僕よりもいくつか年下ですから。」
「ええ!?」
「驚きますよね。鷹王はいくつになったんだろう。まだ十代だと思うんだけど、もう二十歳になったのかな。どうだろう。」
詩人は絶句した。
陽光を受けて鷹王のサーベルはきらきら光って見える。
富豪たちに恐れられる砂漠の盗賊王の正体は、まだ少年みたいに若くて 美しい男だ。
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夕暮れ時に詩人は水辺に一人佇んでいた。
ここに来てからの嵐のような数日間を振り返ってみる。
『蘇りの石』を探して次元を渡ってから常に気を張って過ごしてきたが、ここでは初日の失態ですっかりドジっ子扱いだった。
先ほども詩人が一人になろうとした時、正義は「自分も付き添う」と言い張り、詩人が断ると「必ず暗くならないうちに戻ってくださいね。」と念を押してきた。
(オレは、君たちよりはるかに年上なのに・・。)
詩人は流木の上に腰掛けて膝を抱えた。
もともと物事をテキパキこなす性分ではなかった。
子供のころは、積極的で社交的な兄弟の陰に隠れているのが一番心地よかった。
職業を持ち公人になってからはそうもいかなかったけれど、それでも兄弟やアシュラ王にはいつも心配をかけていた。
(今のオレが本来の自分に近いんだろうなぁ。)
あれから公開決闘は、対戦相手の不甲斐なさにだんだん機嫌を悪くした鷹王がついに癇癪を起して中止になってしまった。
盗賊達にとっては、休日の娯楽イベントだったはずなのに、いつの間にか厳しい鍛練に変わり、引き続きけが人が続出した。
鬼のシゴキに耐える盗賊団の姿は詩人の目にとても気の毒に映った。
正義と詩人はつい先ほどまで気の毒なけが人の治療に追われていたが、その他にも、昨日大怪我を負った笙悟のチームのメンバーの見舞いをした。
彼らは体中に包帯を巻いて暗い部屋に横たわっていた。
詩人は新たな薬を調合すると、酷い火傷でただれた彼らの体を清めて包帯を巻きなおした。
治療が済むと彼らは包帯の隙間から見える目から涙を流した。
乾いた唇はしきりに何か言おうとしたが、呼吸さえ苦しそうで、言葉は出てこなかった。
詩人が傷ついた盗賊達の額に手をかざすと彼らはすっと眠り、静かな寝息をたてた。
ぼんやり水面を眺めていた詩人は、向こう岸の木陰で小さな緑色の光がこちらを窺うようにちらちら瞬いていることに気付いた。
盗賊王に逢ってから、詩人は何度かあの緑色の光を見ていた。
詩人が手を差し出すと緑色の光はまっすぐ水面を渡ってやってきた。
緑色の光は遠巻きに詩人の周りを飛んだ。
「君を捕まえたりしないよ。」
詩人が声をかけると緑色の光は詩人の手のひらにふわりと降りた。
光の正体は、羽根を持つ緑色の髪の美少女だった。
「やっぱりあなた、あたしが見えるのね!」
親指ほどの小さな少女は目を丸くして言った。
その姿が可愛らしくて詩人は思わず微笑んだ。
「はじめまして妖精さん、オレはファイ。君はここで何をしていたの?」
「あたしはプリメーラよ。向こう側からあなたのことを見ていたの。あなたがそこに座っていると、水も草木もとてもうれしそう。」
「オレの方が元気をもらっていたんだよ。この場所の水も、植物もとても強いから。」
詩人がもう片方の手を足元の草にかざすと、緑色の草は小さな白い花を咲かせた。
「それはあなたの魔法?」
「魔法じゃないんだ。なんていうのかな。お礼の気持ちみたいなものだよ。でも、こんなことは久しぶりだ。何年ぶりだろう。」
詩人は優しげなまなざしを白い花に向けた。
「あたしもあなたの傍にいると心地いいわ。」
緑色に光る妖精は目を閉じて詩人の周りを飛んだ。
「君はいつもそうして盗賊王の傍にいるね。」
「そうよ。あたし彼の傍から離れないわ。」
妖精は再び詩人の手のひらに乗った。
「鷹王はちょっとあなたのこと気に入っているみたいだけど、彼が一番大切にしているのはあたしよ。これ、大事なところだから、忘れないでね。」
妖精が人差し指を立てて諭すように言う姿が可愛らしく詩人は再び微笑んだ。
「君は盗賊王のことが好きなんだね。」
「ええ、大好きよ。鷹王の優しいところが好き。」
「優しい?彼が?」
妖精は得意げな様子で言った。
「会ったばかりのあなたじゃわからないでしょうけど、彼はとっても優しいのよ。オアシスに着けば一番最初にあたしが休む場所を作ってくれて、いつも新鮮な水を汲んでくれる。」
詩人は盗賊王の部屋にあった金細工の鳥籠を思い浮かべた。
「あたしは鷹王の笑った顔が好き。だから悲しい顔、見たくないわ。」
妖精は詩人の手のひらに腰かけてすらっと長い脚を組んだ。
「彼の悲しい顔なんて想像がつかないなあ。」
詩人は先ほど見てきたばかりの鬼のような形相を思い出した。
「鷹王は優しいから、悲しい事たくさんあるのよ。だけど本人はそれに気づかない。だから悲しい時、とっても無表情になる。」
妖精はすこしさみしげに溜息をついた。
「鷹王は血のつながった家族と過ごした経験がないからだと思うの。彼は飛王にとても厳しく育てられたから、誰かに甘えたり、自分だけのわがままなんて言ったことが無いのよ。それでも鷹王は飛王の事が好きだったから、自分も特別に愛されいたいって思ったんだわ。鷹王は意識してないと思うけど、飛王に認めらたくて強くなったんだもの。それなのにあんなことになって・・今は飛王の残した世界を守ってる。見てると時々悲しくなるの。いつも抱きしめてあげたいって思うけど、あたしと彼との体格差じゃ叶わない願いね・・。神様って不平等だわ。」
羽をたたんでがっくりうなだれる妖精に詩人は言った。
「それは考え方次第だよ。神様ってすぐに人を試すから・・。きっと、君にしか出来ない方法で彼を守る方法があるはずだよ。」
妖精はきょとんとした顔をしてから頬に指先を当てて考えた。
「そうね。たしかに あるわ。」
「ね、君は彼にとって特別だ。だって黄金のお城のお姫様だからね。」
「うふふ。あなたって面白いわ。また、あなたの旅の歌、聞かせてね。あなたの歌を聞けばあたしの王子様も自分のほんとの役目を思い出すかもしれないわ。」
「ほんとの役目?」
「本来の彼は盗賊の王様じゃないのよ。だけどあたしは彼が一人ぼっちにならなければ何でもいいの。」
詩人が不思議そうな顔をすると緑色に光る羽を持つ妖精は続けた。
「きっとあなたは金の風だわ。だからもう少しの間、鷹王の傍にいてあげてね。だけど忘れちゃだめよ、彼の一番はあたし!」
そう言って笑うと緑色の光は詩人の手元から飛び立って、嬉しそうにくるっと回転してから勢いよく薄紫色の空に舞い上がった。
詩人が見上げた夕暮れ空には一番星が浮かんでいた。
♪おつきあいいただきありがとうございました♪