#16-6 エイプリル・ラブ・フール

◆空港にて

人混みをかき分けてエスカレーターを駆け上がった黒鋼は掲示板のモニタ―を確認した。
成田空港第1ターミナル出発ロビー。
時間にはまだ余裕があるものの、セキュリティチェックの入り口から先へは入れない。
ここに到着するまでの間にファイからの連絡はなかった。
(間に合ってくれ)
祈るような気持ちでチェックインカウンターの周辺を見渡す。

すると、人々が行き交う出発ロビーのソファに、見間違えるはずのない後ろ姿を見つけた。
金色の髪、白いトレンチコートを羽織った痩身。
「ファイ!」
黒鋼は叫んだ。
他の誰とも違う特別な名前を。

細い背中がびくりと震える。
振り向いた彼が立ち上がると、周囲の雑踏は色を無くした。

黒鋼を見つめる青い瞳は、信じられないというように、ぱちぱちと数回瞬きをした。
今、この時この場所に居るはずのない人、ファイの最も会いたい人――黒鋼が、学校にいるときの姿のままで空港に現れた。
しかし、ひどく切羽詰まった様子で、黒鋼の髪は乱れ、額には汗が浮かんでいる。

「黒さま・・ほんとに来ちゃったぁ・・」

一方の黒鋼は、いつだって予想のななめ上を行く相手の台詞に、自分の中で何かが切れる音を聞いた。
つかつかと大股で歩み寄る。
ファイは落ち着かない様子で、黒鋼と自分の手元の携帯電話とを交互に見た。

「えっと、授業は・・どうしたの?」
「放り出してきた。全部自習だ」
「ええっ!?」

「この馬鹿野郎!!留守電聞いたなら連絡よこせと言っただろうが!!!」
「・・ひぃぃ!」
「イタリアに帰るだと?なんで今まで何も言わねぇんだ?!!」
胸ぐらを掴まれたファイは、かつて無い剣幕で詰め寄られた。

もう、後戻りはできない所まで来てしまった。
腹をくくったファイが口を開いた。

「君に黙ってたのは、悪かったよ。でも、こうするより他に仕方がなかったんだ!だってオレ、黒様の顔を見る度に決心が鈍っちゃうんだもの!!」
「それで、俺には黙って消えようとしやがったっつうのか!??」
「・・そうだよ。オレは、行かなきゃならないんだ」
ファイはきゅっと唇を引き結んだ。
自分の決めた事をするために、黒鋼を避けるしかなかったのだ。
それはユゥイとの約束でもあった。
長い前髪に隠れた表情が陰る。
黒鋼は、自分を落ち着かせようと息を吐いた。
ここまで来て、こんな顔をさせたかった訳ではない。
ファイを掴み上げた手を離す。
「それで、お前が行かなきゃならねぇ理由ってのは何なんだ」
ファイは乱された襟元を直そうともせずに、俯いたまま話し始めた。
「・・オレとユゥイを育ててくれたイタリアの叔父さんが、今、病気で入院してるんだ。電話で話すと、大したことないから心配するなって言われるんだけど、でも、いつもと違って気弱になってるみたいだから、傍についていたいんだよ」
黒鋼の表情が厳しくなった。
ファイの両親が既に他界していて、育ての親が叔父であることは聞いていた。しかし、学園で知り合ってから一年ほどの間に、ファイがイタリアに帰省することは一度も無かったし、それ以上のことは何も知らない。

「実はオレね、叔父さんにはずーっと心配かけっぱなしなんだ」
「・・そうだろうな」
「だからこれまでも、休みの時には時間を作って帰ろうとしたんだけど・・・でも、学校が長期休暇の時でも、黒様は部活があるから宿舎に居るでしょ。だからオレ、君と一緒にいたくて、一度も帰れなかったんだよぅ」
「・・・」
黒鋼の胸の内に苦い思いが拡がる。
いつの間にかファイが傍にいるのは当たり前の事になっていて、こんな状況になるまで、彼のイタリアの家族の事を自分から聞いたことなどなかったのだ。
ファイは携帯電話をぎゅうと握りしめていた。
伏せた睫毛が震える。
「叔父さんは、自分の会社をやっててね、オレとユゥイが小さい頃からずっと忙しくしてきた人なんだ。
だから、もう、無理はして欲しくないんだよ。
オレ、今まで甘えっぱなしで、叔父さんの仕事のことは全然知らないから、役に立たないかもしれないけど・・でも」
ファイはきっぱりと言いきった。
「叔父さんの為にオレに出来ることがあれば、何でもいいから手伝いたいんだ」
滅多に見せない真摯な表情。
世話になった叔父の為に役に立ちたい、とは、ファイらしい考えである。
「お前なら、なんとかなるだろ」
それはある意味、黒鋼の素直な気持ちだった。
「え・・」
顔を上げたファイの表情が少しだけ明るくなる。
しかし、一方で黒鋼は、非常に面白くなかった。
「だが、そんな事を一人で勝手に決めやがったのが気に入らねえ」
そう言ってファイの腕をぐいと掴んだ。
「行くな」
「ええっ!?」
ファイが身じろぐ。
「だっ、だって・・その、今話した通りの事情があるし・・オレもうチェックインしちゃったし、それに今までのオレの努力はなんなのっていう・・」
黒鋼は、あたふたと取り乱すファイの姿を見て溜息をついた。
「今回はもうしょうがねえだろ。心配かけてる自覚があるなら、顔見せに帰って、それからすぐに戻って来い」
黒鋼はまっすぐにファイを見た。
「どんな事情があろうがてめえが今までやってきた事をそんなに簡単に投げ出すな。あんな学校だが、お前の居場所だろうが」
「黒様・・・」
「また、こっちに戻って来い。仕事の事はそれから考えりゃいいだろ」
一緒に、考えればいい。
「いいな」
ファイの瞳が揺れた。
「戻って来いって・・それを言いに、ここまで来てくれたの?」
「・・ああ」
――多分。理由を聞いたところで、黒鋼が言いたいことは、はじめから決まっていたのだ。
身勝手なことに、ファイにどんな事情があろうとも、何処にも行かせたくない。

「・・嬉しいよぅ」
涙をこぼしたファイは、黒鋼の胸に顔をうずめた。
「うん。約束する。絶対、ここに帰ってくるよ」
嬉しさと同時に申し訳なさが胸に溢れた。
「何にも相談しないで心配かけて、ごめんね、黒様」
「・・・」
「それから、体育の授業も自習になっちゃって、きっとみんな心配してるよね。・・オレ、やっぱりみんなに迷惑かけちゃうなぁ」
「・・・・・・・・・・・」
黒鋼は、なんという今さらなファイのセリフにしばらく言葉を無くした。
そして何より、そんな相手にほだされる自分に呆れるのだ。
「もういい。心配かけんなら――・・・俺だけにしとけ」

腕の中の細い体をぎゅうと抱きしめた黒鋼は、ロビーの雑踏にまぎれて、安堵のため息をついた。







*********************

「向こうについたら連絡しろよ」
腕の中で聞く黒鋼の声は、すこしくぐもって甘く響く。
「・・うん。電話するよ」
(ああ・・幸せだぁ――)
強く抱きしめられて苦しいくらいだった。
「ちょっと寂しいけど、一週間なんて、すぐだよぅ~」
「?」
ファイは黒鋼の胸に頬をすり寄せて幸せを胸一杯に深呼吸した。
「一週間分の、じゅうで―ん☆」

「・・おい」
ファイを引き離した黒鋼が真顔で聞いた。
「一週間ってのは何だ?」
ファイは幸せそうに笑って答えた。
「だって、オレがイタリアに里帰りするのは、一週間だよ~」
「あぁ!??」
黒鋼の表情が険しくなった。
「俺は今朝、理事長から、てめえが教師を辞めてイタリアに帰るって聞いたぞ」
「えええええーー!!?理事長がそんな事、言ったの!?オレはお休みをもらうだけのはずだよ?そんなのって・・、無いよ~!!!」



その時ファイが手にしている携帯電話から、声がした。
"お疲れ様。ファイ、心配はいらないから、気をつけて行って来てね"
電話の向こうの声は、ユゥイ。
ファイの電話が繋がっていたらしく、その他にもガヤガヤと外野の声がする。
黒鋼の眉間のしわが深くなった。
「・・どういうことだ」
「よくわからない・・でも、あのね・・」
ファイは黒鋼に、①黒鋼が空港に来る直前にユゥイと電話で話していたこと②そのまま電話を繋いでおくように指示されていたこと、を説明した。

「ユゥイ―!ねぇ、どういうこと?他にも誰かいるの!?オレたち今、すっごく混乱してるよぉ~!!?」
すっかり落ち着きを無くしたファイが携帯に向かって問いかける。
"びっくりさせてごめんね。今ボクは、堀鍔学園に居て、ここには一緒に、四月一日君と百目鬼くんと、それから理事長がいるよ"

""エイプリルフール!!""

「はぁあ!!???」

「あーーっ!!!」





::*~☆~*:.,。・°・:* 。・°☆・。・゜ 。・。☆.・:*: 。・°

ありがとうございました(^v^)
つづきます。

次へ

戻る