紅い石
サファイヤ
月の明るい夜だった。
蒼白い光に照らされた夜の砂漠はまるで静かな水面のよう。
いくつもの砂漠の都市を渡り歩き、今や行くあてもなく途方に暮れる詩人は独り、金の竪琴を弾いて唄う。
探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
富豪のかばんも貴族のつくえも
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
夢の中で探すのは 紅い色。
燃えるような いのちの輝き――。
**************
ぼんやり夜空を見上げていると、砂の地平線の向こうから黒い影が現れた。
夜の砂漠を渡るキャラバンの長い列。
彼らは何処に行くのだろうかと考えているうちに、その影はどんどん大きくなった。
地響きのように聞こえる馬の蹄の音によって現実に引き戻された詩人は、そばにある岩陰に身を隠そうと立ち上がり、先ほどまで鎖につながれていた脚に痛みを覚えて顔を歪めた。
キャラバンの先頭が喧騒と砂埃を捲き上げて傍らを通りかかったとき、列の中の一人が外套をひるがえして向ってきた。
一人の男が止まった事で、長い旅団の列もぴたりと止まり、辺りは再び静まり返った。
近くに見ても集団が黒い影に見えるのは、彼らが揃って漆黒の外套を纏っているからだった。
「お前、そこで一人で何をしている?」
冷たい砂漠に響いた声は、好奇心の強そうな若い男のものだ。
「私は吟遊詩人です。今宵の月を見て歌を歌っていました。」
黒ずくめの男は馬上から白いローブに身を包む人物を見下ろした。
「おかしなやつだな。」
男の顔は黒い頭巾とスカーフで覆われていて、切れ長で鋭い目元だけが見えた。
詩人はその人物の肩先で揺れている小さな緑色の光に気づいた。
「俺らは見ての通り――盗賊だ。」
黒装束の集団はサーベルを持って武装している。
「そのようですね。」
全くひるむ様子を見せない吟遊詩人の表情は、目深にかぶったフードの影に隠れて窺えない。
詩人の手の中に宝石をちりばめた金の竪琴を見つけた盗賊は、馬から飛び降りて長剣を抜いた。
「いい度胸じゃねえか、詩人。死にたくなけりゃあその楽器を置いていけ。」
詩人の喉元に突き付けられた銀色の刀身が、冷たく光った。
「そういうわけには、いきませんねー。」
詩人は、ローブの中の剣に手をかける。金の竪琴だけは渡すわけにいかない。
間延びした返事に苛立った盗賊が、躊躇なく振り下ろした半月刀を、意外にも力強い吟遊詩人の腕が短剣で受け止めた。
詩人の足がよろめいて、ローブのフードがはらりと落ちる。
たなびく雲間から差し込む月光。
その下に現れたのは、絹糸のような金の髪に縁どられた鮮やかなブルー。サファイヤの瞳。
刹那の煌きに目を奪われた盗賊は、その宝石が欲しくなった。
しかしそれは、いくら刀で脅しても手に入らないものだった。
――月が、翳る。
**************
黒い盗賊団に捕らわれた詩人は手足を縛られたまま倉庫のような天幕にの中に放り出された。
とてもみじめな気持ちだ。
何処に連れて来られたのかもさっぱり分からない上に、馬上で暴れた時に頭からすっぽり麻袋を被せられた為、擦れた頬がひりひりと痛む。
しかし、自分を憐れむ時間はもはや残されていなかった。
砂漠の国々を巡って目当ての宝石を探してきた詩人の旅は、一向に見つかる気配すら無いまま時間切れを迎えようとしている。
薄暗く埃っぽい部屋の中に一人横たわり詩人は考えを巡らした。
砂漠の国を渡り歩く盗賊団であれば、探し求めてきた『紅い石』の情報を知る者がいるかもしれない。
こうなってしまったからには何とかして、この旅団の頭に会おう、と。
すると、突然天幕が開いて眩しい光が差し込んだ。
流れ込む新鮮な外気と水の匂い。入り口には長身の男と小柄な男のシルエットが現れた。
「おい詩人。気分はどうだ?」
低く響く特徴ある声は、昨晩半月刀を突き付けてきた乱暴者のものだとすぐに判った。
「おかげさまで最悪です。」
精一杯の厭味を言ってみたものの、予想に反して笑みを含んだ機嫌のいい声が返ってきた。
「ったく、口の減らねぇ奴だなぁ。」
昨日の乱暴者は、褐色の素肌に上に丈の長いベストを羽織り腰には革ベルトで長剣を吊っている。
男が詩人の傍らにしゃがむと、黒い帯の端についた金の飾りがしゃらと揺れた。
「てめえは、自分の立場がわかってんのか?」
男は詩人の顎を掴んで顔を覗き込んだ。
紅い瞳は状況を愉しんでいるようで意地悪く笑っている。
昨夜見た黒い影のような外套を脱いだ姿は予想外に派手で、男の額や逞しい腕は金細工の装飾品で飾られていた。
逆立った黒い髪からは見るからに攻撃的な印象を受ける。
顔立ちは、これまで詩人が見てきた砂漠の民のものとは少し違った。
つり上がった眉のすぐ下にある切れ長の鋭い目、瞳の色は深紅。
細く通った鼻梁、精悍な頬、引き結ばれた唇は薄い。
残忍そうで整った顔立ちはどことなく魔族を思わせて、さらに嫌悪を感じた詩人は目をそむけた。
「だんまりかよ。まぁ いい。お前、足を怪我していただろう?」
男は詩人の両足を縛り上げたロープを器用にほどくと片方の足首を取って眉間に皺を寄せた。
「ひでぇな。これじゃあまともに歩けねぇだろうが。正義、こいつの足、看てやれ。」
「はい。」
緑色のチュニックを着た小柄な男は詩人の足元にひざまずくと小脇に抱えた箱を開いて手当を始めた。
「詩人さん、痛かったら遠慮なく言ってくださいね。」
つぶらな黒い瞳はおよそ盗賊らしくない。
手際よく治療を済ませると正義は詩人の両手の拘束をほどきながら言った。
「足首から甲にかけて大分腫れていますが骨は折れていません。今は痛むでしょうが安静にしておけは一週間ほどで良くなるでしょう。それまではここにいてください。貴方の休む場所も用意したので案内します。」
それはちょうど都合がいい。しかし長居は危険。
隙のない表情を作って考えを巡らせてから詩人は言った。
「ありがとうございます。こんなに親切にしてもらえるとは思っていませんでした。
私の名はファイといいます。旅の歌を唄う詩人です。私をあなたの旅団の頭領に会わせていただけませんか?お世話になるならご挨拶をしておかなければ。」
「それならお気遣いは不要です。ファイさんはもう会っていますから。」
小柄な男はにっこり笑って、背後で腕を組んでいる背の高い男を振り仰いだ。
「ねぇ、鷹王。」
「ああ。俺が ここの頭だ。」
(!)
『鷹王』――これまでの旅で何度か耳にしたことがある名前。
それは、マハラジャ達に恐れられる砂漠の盗賊王の名だった。
**************
盗賊団はオアシスの周辺にテントを張って滞在し、そこをベースキャンプに近隣の集落を襲った。
詩人が見たところ100人近くいるのではないかと思われる盗賊団は、幾つかにチーム分けされており、昼下がりには騒がしくそれぞれの仕事に出払った。
吟遊詩人が足を引きずってオアシスの周りを見回すと、近くに川が流れている為そこかしこにナツメヤシやアカシアといった灌木類が茂っている。
盗賊団の組織は大きく、彼らの生活する場所は一つの村のように見えた。
煙が上がっているのは厨房の役割のテントだろう。
今はほとんどもぬけの殻で、見張り役の盗賊が数人いるだけだった。
浅黒い肌をしてひげを生やした男たちの中には、片腕のない男や片目のない男もいた。
彼らは物珍しそうに吟遊詩人の姿を見るが、誰も声をかけようとはして来なかった。
すると、黒いマントと頭巾に身を包む一団が騒がしく戻ってきた。
出かけてからまだ数刻しか経っていないのに、盗賊達は山ほど戦利品を抱えている。
そこには穀物の入った袋や、宝石、貴金属、麻袋を被せられ捕らわれた人もあった。
それを見た詩人の胸中は複雑だった。
仕事を終えて引き上げてくる盗賊たちからは血の匂いがした。
鷹王が率る部隊はたいてい一番早く戻って来た。
彼らは仕事が早いのだ。
先頭にいる鷹王は吟遊詩人の姿を見つけると顔を覆ったスカーフを引き下げて黒い頭巾を外した。
「おい、詩人。今日の首尾は上々だ。これから酒宴をするぞ。」
鷹王は近くでひまそうにりんご売りのまねごとをしている片腕の盗賊にも声をかけた。
「お前らも来い。今日は好きなだけ飲ませてやる。」
片腕の男は嬉しそうに笑って馬上の王にリンゴを投げ渡した。
鷹王は笑顔を見せてそれを片手でキャッチしたが、赤い実を見ると目を丸くして投げつけて返した。
「てめぇの食いかけじゃねーか!!!」
「でも王さま、後はぜーんぶ虫食いでさぁね。」
**************
盗賊団は一番大きい王の天幕に集まって酒を飲んだ。
後から戻って来た他の盗賊達も宴会に加わり、盛大な酒盛りになった宴席で、錦張りの帷の前に胡坐をかいて座る鷹王は水を飲むみたいに次々と酒をあおってご機嫌だった。
いつの間にか鷹王の側には黒い髪の大男と浅葱色の髪を一つに束ねた痩身の男が座っていた。
豪快に笑って酒を飲む3人の姿は悪友さながらで、詩人の目には近寄り難く映った。
王の席の前では、シタールの調べに乗せて、色とりどりの衣装に身を包んだ女性達が身をくねらせて妖艶なアラビアンダンスを披露している。
音に合わせて彼女達が細かく腰を揺らすと腰に重ねづけした金の飾りがシャラシャラと鳴った。
扇情的な旋律に乗せたサーベルダンスでは、踊り子達は鍛え上げられた躰に纏ったベールと剣で美しい弧を描いて見せた。
詩人が宴席の端でその様子を見ていると正義がフルーツを盛った金の器を持ってやって来た。
「楽しんでいますか?ファイさん。」
「まあまあです。私は賑やかな場所には馴れていなくて。」
故郷でも外交は彼の兄弟の仕事だった。
「飲み物をお持ちしましょうか?」
「いいえお気遣いなく。実は私はお酒が全く飲めないんですよ。」
「そうですか。僕も得意ではないんですが、ここでは毎晩こんな感じです。鷹王が、ああだから・・」
「正義さんも苦労しますねぇ。」
詩人の目の端には先ほどのりんご売りがジョッキを持ってはしゃいでいる姿が映った。
「鷹王があなたを呼んでいます。様子を見て参りましょう。歩けますか?」
アラビアンダンスの余興が終わる頃、吟遊詩人は気が進まないながらも正義に手を引かれて鷹王の前に進み出た。
白い麗人が現れると、鷹王の周りに侍る踊り子達から歓声が上がった。
詩人がかしずくと、鷹王は金の竪琴を取り出して見せた。
「此処でお前の歌を聴かせろ。そうすれば楽器は返してやろう。」
詩人は王の手から竪琴を受けとるとペルシャ絨毯の上に片膝を立てて座った。
長い指がようやく取り戻した宝物の感触を確かめるように弦を鳴らすと、その音色の美しさに女性達から再び歓声が上がった。
「どのような歌がお好みでしょうか?」
先ほどの見事な舞踊にもあまり興味のなさそうな王の好みは全く分からない。
詩人の蒼い瞳がまっすぐ王を見つめて問うと、王は相手を試すような視線を返した。
「お前の旅の歌を聴かせろ。」
詩人が小首を傾げると、素直な金の髪がさらさらと流れた。
「・・・・では、月の砂漠で出逢った盗賊王に捧げる歌を唄いましょう。」
――蒼白い光に照らされた月の砂漠はまるで静かな水面のよう
穏やかに流れる水のアルペジオにのせて、詩人は目を閉じて唄いだした
月の河の広く果てなき流れを
いつの日にか胸を張って渡りましょう
あなたの見せる夢は
私の胸を締め付け
る
あなたがゆくところなら何処へでも
わたしは何処までもついていく
さすらいびとは世界を巡り
数多の出会いを知るでしょう
同じ光を探すから
虹の麓で待っていて
幼馴染の冒険仲間
月の河と わたし
あなたの見せる夢は
私の胸を締め付ける
あなたがゆくところなら何処へでも
わたしは何処までもついていく
虹の麓を後にして
てっぺん目指して旅に出る
幼馴染の冒険仲間
月の河と わたし
**************
静寂の後に、さざ波のような拍手がおとずれた。
踊り子たちはうっとり目を細めて詩人の唄の余韻に酔った。
ひじ掛けに頬杖をついて詩人の声を聴いていた鷹王も猫のように目を細めて詩人に聞いた。
「面白い歌だ。ところでお前みたいに変わった姿をした奴は初めて見た。お前は何処から来た?お前の旅の目的は、何だ?」
盗賊達には詩人の白い肌や金の髪、身につけたローブの形や素材も珍しく、何もかもが不思議に思えた。
詩人は考えていたよりも早く訪れたこのチャンスを逃すまいと、盗賊王の目を見てはっきりと答えた。
「はい、盗賊の王様。私はとても遠い場所から来ました。そして、この砂漠のどこかにあるという『紅い石』を探して旅をしています。」
その時、騒がしい宴席が水を打ったように静まり返った。
盗賊たちは恐れ慄き王の顔色をうかがった。
ただならぬ雰囲気に詩人も固まった。
どうやら何かまずいことを言ったらしい。
鷹王の目が獰猛な色を帯びた。
「『紅い石』を探してる だ と?・・お前の目的は 何だ?」
冷静な詩人の背中に汗が流れた。
「石を探しているのは・・身を・・飾るため・・です。」
それは宴席の空気がすっと冷たくなるほど下手な嘘だった。
詩人の身なりは質素で、装飾品は一切身につけていない。
「フン、しらけるな。今日はもう終いだ。」
そう言うと鷹王は急に立ち上がった。
王にしなだれかかっていた女性たちが床に転がった。
それに一瞥もくれずどすどす歩いて自室に引き上げる王は、途中で詩人を振り返り指差して言った。
「詩人。後で俺の部屋に来い。テメエはどうも胡散臭え。」
鷹王が行ってしまうと詩人の元に正義が駆け寄った。
顔色は蒼白だった。
「詩人さん、あなたが何を探しているかは知りませんが、どうか王に嘘はつかないでくださいね。
彼は嘘を見抜きます。怒らせるとあなたの命の保証は、無い。」
必死の助言。
彼の言うことなら従おうと思い、詩人は頷いた。
「分かりました。」
**************
王の部屋は玉座の裏にあった。
広々したスペースは豪華な幕でいくつかに仕切ってある。
入口から広がる区画には大きなテーブルがあり、天盤には長い筒状に丸められた紙がいくつか転がっていた。
部屋の隅には金色の鳥籠が吊られている。
金細工の鳥籠の周りにはちかちか光る緑色の光が揺れていたが、この時の詩人にはそれを気に留める余裕は無かった。
鷹王は仕切りの向こうの寝室に居るようだった。
恐る恐る詩人が近付くと鷹王はベットサイドのオットマンチェアを蹴ってよこした。
「座れ。」
「はい。」
蒼い顔をした詩人が進み出て素直に従うと、不機嫌そうにベットに横たわっていた鷹王も身を起した。
鷹王が口を開いた。
「もう一度だけ聞く。お前は何のために紅い石を探している?」
王は膝の上に長剣の柄を乗せて答えを待った。
詩人は感情を押し殺した声で答えた。
「ある人物を・・蘇らせるためです。」
鷹王は顔を傾け目を細めてじっと詩人を見据えた。
「やっぱりそうか・・。それはお前自身の願いか?」
「そうです。」
「何処でその石のことを知った?」
「私の国で人づてに聞きました。」
「お前の国っつうのはどこだ?」
「――此処とは、別の世界です。」
「そうか・・なるほどな。あれはもともとこの世の物じゃねぇ。」
詩人は驚いた。此処とは別の世界の存在をこの男がすんなり受け入れたのが意外だったのだ。
「俺はお前が探している『蘇りの石』の在りかを知っている。」
詩人はその言葉に心臓を掴まれる想いがして、のどの渇きを感じた。
この一年近い間、噂話にさえもかすりもしなかった石の所在を目の前の人物は確かに知っていると言ったのだ。
「場合によってはその場所を教えてもいいが、何のために死んだ奴を蘇らせてぇのか、今ここで洗いざらい話せ。」
詩人は息を呑んだ。
自分の願いを得体のしれない男に話すことには強い抵抗があったが、彼はついに見つけた糸口だった。
山の天気のように変わる機嫌を損ねるわけにはいかないし、もちろんここで殺されるわけにはいかない。
そして自分には嘘がつけない。
詩人は大きく息を吐いてから、蘇りの石を探し求める自分の物語を話す覚悟を決めた。
歌を唄うつもりで話せばいい、と。
「盗賊の王様、私はセレス国のファイ・D・フローライトと申します。」
詩人は立ち上がって一礼した。
「私の祖国、セレスは水の豊かな世界で、一人の王によっていくつかの国が治められています。
私たちは王に仕える双子の魔法使いでした。
吟遊詩人はこの次元を旅をする仮の姿で、自国での私はクレリック、――教会の司祭です。
そして私の兄弟は、国防を務めるウィザードでした。」
双子はセレス国を護る対になる存在で共に最高位の魔法使いだった。
そして、双子の魔法使いはセレス国王に永遠の忠誠を誓っていた。
「もうずいぶん昔のことになりますが、兄弟は私にかけられたはずの呪を受けて命を落としました。
国中が悲しんで、何年もの間、雨が降り止みませんでした。
王も塞ぎ込んでしまい、国中が陰鬱になりました。王は彼を後継者にしようとしていたんです。」
目を伏せた詩人は小さな声で呟いた。
「・・本当は呪いで死ぬのは私の方であったはずなのに。」
鷹王は片眉を吊り上げた。
「お前が蘇らせてぇのはその片割れか。」
「そうです。」
「くだらねぇなあ。お前は生き残ったんだろうが。てめえでなんとかしようとは思わねぇのか?」
詩人は再び苦しげに話し始めた。
「不安定なセレスの世界を継続させるには、荒々しい水を治める強い魔力が必要です。そのために天空に浮かぶ城を維持するのが、私の兄弟の仕事でした。私には魔力で水を統べる力はありません。今では王が兼務していますが、その王も失意の中で徐々に力を落としています。早く後継者を見つけないと、このままではセレスの世界自体が壊れてしまうんです。」
セレスの世界は水の守人を失った。
悪魔の呪はセレスを護る結界にかけられていた。
何年もかけてゆっくり回る毒のように。
呪いが発動して取り返しがつかなくなった時、兄弟は身を呈して呪いを破った。
"泣かないで、君が無事ならそれでいい。君は神様に愛されているんだよ。"
兄弟はそう言い残して逝ってしまった。
鷹王は何も言わず厳しい顔で聴いていた。
「私は国を、民を愛しています。だから守りたい。だけどそれよりももっと、失ってしまった兄弟を取り戻したい。わたしには・・彼がいてこその世界だったんです。」
詩人はそういうと再びうつむいて唇をかんだ。
「彼を失ってからわたしは何年も泣いていました。そのうち涙は枯れてしまいました。そんな頃、異世界からの旅行者に『蘇りの石』の話を聞きました。黄泉に渡った魂を呼び戻すことができる命の石のことを。燃えるような紅い色をしたその石に、この地この時に渡れば巡り合えるだろうと。」
詩人には、結界の術者であった自分が呪に気付かなかった事が到底許されることとは思えず、王の顔をまともに見ることが出来なくなっていた。
「私はすべてを王に話しました。王は蘇りの石を手に入れてセレスに持ち帰るという使命と、次元を渡る術を私に授けてくれました。次元移動の回数は有限で3度です。それから私は、司教の職を弟子に預けて次元を渡りました。
それからこの砂漠の都市を巡り沢山の富豪や貴族の元を訪れました。私は蘇りの石の色を知っています。しかしそこで出逢った紅い石からは魔力のかけらも感じませんでした。
私が旅に出てからもうすぐ一年が経ちます。王と約束をして得た時間はこの次元の季節が一巡りする間です。私は焦っていました。そんな時、訪れたマハラジャの家で監禁されました。私は護身用の剣で・・人を傷つけて逃げ出しました。
そして、月の晩に あなたに逢った。」
「・・そうか。」
射るように詩人を捉えていた鷹王の視線は一旦、詩人の傷ついた足首に移り、再び戻った。
「お前はあの石を使った者がどうなるか知っているか?」
「知っています。――"心を失う"と聞きました。」
「心を失うのは命を落とすことと変わり無ぇ。それも覚悟の上か。」
詩人は黙ってうつむいた。
「聞くまでもねぇな。」
しばらくの沈黙の後、鷹王は今までで一番厳しい声色で言った。
「おい、こっちを見ろ。」
詩人がこわばった顔を上げると、鷹王は眉間に皺をよせて唇を噛み、おかしなしかめ面をして見せた。
それがあまりにも変な顔だったので、詩人は意表を突かれて噴き出した。
鷹王は変顔のまま言った。
「今のお前の顔だ。不細工だろ?」
すっかり力が抜けてしまった詩人は答えた。
「それは もう。・・わたしは悔い改めなければなりません。」
それを聞いた鷹王はいつもの陽気な顔で笑った。
つられて詩人も、少しだけ 笑った。
鷹王は初めて見る詩人の笑顔を見て言った。
詩人を映す紅い瞳は優しかった。
「お前は、片割れが死んでからそんな風に笑うことはあったか?」
詩人は力なく首を振った。
「・・ありませんでした。」
「そりゃあお前の周りにいる奴ぁ辛かっただろう。お前の王もな。」
詩人の笑顔が歪んだ。
とうに枯れてしまったと思っていた涙が、頬を伝って流れた。
鷹王はベットから降りるとペール・ブルーのガラス瓶から二つのグラスに水を注いだ。
そしてグラスのひとつを詩人の顔の前にぐいと差し出して言った。
「お前の話を信じる。まずはヘマしてやられたその足を治せ。その間に下ばっかり向いてねえで自分の周りをちゃんと見られるようになれ。その後で石の事は教えてやろう。」
王の言葉を聞いて力が抜けた詩人は、その時になってようやく自分の喉がカラカラになっていることに気づいた。
鷹王が一口にグラスを空ける様子を見た詩人は自分もグラスの水を一気にあおった。
それは、詩人が今まで口にしたどんな飲み物より刺激的な・・蒸留酒だった。
鷹王は眼を見開いた。
「なんだお前、いけるじゃねぇか!!あんな石に取り憑かれるには惜しいなあ。」
詩人の飲みっぷりに感激した鷹王は豪快に笑って細い肩をバシバシ叩いて揺すった。
詩人は意識を手放すまいと、必死で盗賊王が手にしている水色のガラス瓶の文字を見つめた。
――Bombay Sapphire
ずっかり機嫌が良くなった鷹王は、自分と詩人の空のグラスに再びなみなみと酒を注ぎながら言った。
「お前にだけ俺の『とっておきの呪文』を教えてやる。巧く石を手に入れたとしても、使う前にはこの言葉を唱えろ。いいか、俺ぁ一遍しか言わねぇぞ・・」
鷹王はグラスを軽く合わせてから、詩人の眉間を指さして言った。
「" 生きてるだけで まるもうけ "だ。」
その声を聞いたのを最後に――詩人は意識を失っ た。
to be continued
♪ありがとうございました♪