雪が溶けると春になる。
領主館の庭先では、満開の桜の下で花見の準備が行われていた。
数年前まで荒れ地だった諏倭の里には桜がなかったが、領地を再興するにあたって、白鷺城の姫巫女より桜の木の寄贈を受けたのだ。
まだ若い桜の木々の下で準備を仕切るのは、今回の花見を言い出した諏倭姫だった。
たすき掛けではりきる諏倭姫は、厳しい冬を乗り越えた領民をねぎらいたい気持ちで一杯だった。
「はい、黒たんは大道具の担当。雰囲気が大切だからね!」
諏倭姫は、きっちり畳まれた幕を領主の手に押しつけた。
「・・・」
ここ数日の諏倭姫は花見の準備につきっきりだったため、領主の不機嫌は最高潮だった。
「それから正義君は席をつくってね。ござと座布団は縁側に出して
おきました~」
「了解です!」
正義はなるべく領主に触れないよう縁側にダッシュした。
すると、着々と花見の準備が進む会場に、結界周辺の警備を交替して引き上げてきた農夫団(忍軍)がやってきた。
この十ヶ月の間、この場所に来る度に鬼のシゴキに耐えて来た彼らが恐る恐る庭の端に目を遣ると、袴をはいた鬼――仏頂面の領主が脚立に上って天幕を張っていた。
震え上がる彼らを諏倭姫が出迎えた。
「みんな、お疲れさまー。今日は沢山食べて飲んでいってね」
花の咲きこぼれるような笑顔に疲れも吹き飛ぶ。
「ありがとうございます奥方様~(涙)」
「こちらこそいつもありがとう。みんなが結界を護ってくれているおかげで、すごく助かっているんだよー」
優しいねぎらいの言葉に涙が出そうになる。――たとえそれが領主夫妻の飴と鞭だとしても。
つづいて娘を抱いた草薙と、大きな風呂敶包みを抱えた護刃がやってきた。
「奥方様、お招きありがとうございます。これは差し入れでーす☆」
包みをほどくと、重箱の中には盛りだくさんの甘味が詰まっていた。
「うわぁ、護刃ちゃんありがとう。後で黒様にお茶を立ててもらって一緒に食べようねぇ」
お揃いの萌黄色の帯締めをした諏倭姫と護刃は、向かい合って微笑んだ。
その時領主は、苦虫を噛み潰したような顔で縁台を担いでいた。
庭の端に置いた縁台の脇に日よけの番傘を立てる領主の傍に、諏倭姫が近づいて声をかける。
「いいね、これ。さっすが黒様~」
返事は返ってこない。無視された諏倭姫が少し背伸びをして精悍な頬キスすると、相変わらず不機嫌そうな視線が返された。
「・・・全然足りねぇな」
「遂に完成ですね、リーダー!」
景気の良い声とともに、数人の農夫団と大きな樽を担いだ笙悟が花見会場に現れた。
「おう、今日という日に間に合って良かったぜ。じゃあ、そろそろ準備を始めるとするか!」
「foWOOO!」
「・・・ったく、いつもあいつらが後から来て仕切ってしまうな」
騒々しく鏡開きの準備を始める笙悟達を横目に半ばあきれ気味の草薙が領主と奥方の姿を探すと、二人は赤い番傘の影にいた。
(!!!)
草薙は咳払いして視線をそらした。
その時突然、護刃の犬が空に向かって激しく吠えたてて、庭にいた全員が空気が重々しく揺れる違和感を感じた。それは以前にも味わった事のある感覚だった。
空に現れた空間のゆがみが勢い良く宴席の真上に落ちて来ると、舞い上がる風塵に桜の花びらが舞い散って、三日月紋の幕がはためき、赤い番傘が吹っ飛んだ。空間の淀みがはじけて消えると、そこにはすらりと背の高い黒髪の女が立っていた。
領主の眉間の縦皺が深くなり、正義は涙目になった。
「来やがったな、魔女」
領主は凄味のある声で言ったものの、諏倭姫の肩を抱いたままだった。
「お約束通りね。お取り込み中悪いけど、早速始めようかしら」
夫婦に笑いかけた次元の魔女は、黒い式服を着ていた。
庭を見渡した魔女は、宴席のすぐ近くの場所を指定した。そこは庭の中で祷場の正面にあたる場所だった。
「黒鋼、ファイ。此処へ。他のみんなは、少し離れて出来るだけ動かないでいて頂戴」
次元の魔女が指示する様子を一同は緊張の面持ちで見守った。去年の初夏の約束が、今まさに、果たされようとしているのだ。
「オレ達はどうすればいいんですか?」
同じく緊張した様子の諏倭姫に、魔女は優しく答えた。
「特別なことは必要ないわ。もうあなたたちは十分良い仕事をしてくれたから。あとは立会出産に臨む旦那の気持ちで、あたしの近くに立っていればいいわよ」
「はい!オレ、ちゃんと見てますから。頑張ってね、魔女さん!」
「ふふ、ありがとう。ファイ」
魔女の手を握り締める諏倭姫を横目に領主は首をかしげた。
(・・・なんか、違ぇよな)
次元の魔女が手のひらをかざすと、足もとに大きな魔法陣が現れた。魔法陣が回りだすと領主夫妻の体はゆらゆら揺れる虹色の光に包まれた。天に向けられた魔女の手のひらに、紫色の貴石のような結晶が浮かぶ。
「これが、核になるあなたたちの想い。申し分無い様ね」
薄く笑った魔女がさらに集中力を高めると、結晶は手を離れて眩しく発光して、何か強い力の影響で空間が歪んだ。一同は鋭い耳鳴りを感じて頭を抱え、時空のひずみを押さえつけている魔女の額には汗が浮かんだ。強い風に桜の花びらが舞い上がり、魔女の長い黒髪が揺れる。
領主は諏倭姫をかばって抱き寄せた。領主の肩越しに諏倭姫が見たものは、走馬灯のように移り変わる色とりどりの光だった。燃え立つような紅から橙へと変化した光は、暁の金色からオーロラの緑へ、そこから澄渡る空の青へと変わり、星月夜の藍へ。再び夜が明けて、薄紫色の光が降り注ぐ。
時空の歪みが収まると、吹き荒れる風は魔法陣の真ん中に浮かぶ七色の光に溶けて消えた。
すると光の中にうっすらと翼が見えて、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえた。閉じた両翼が開かれると、その中に顔をくしゃくしゃにした赤ん坊がうずくまっているのが見えた。小さなこぶしを握り締めて泣きじゃくりながら、光り輝く七色の翼をぱっと開く。
領主は眩しくて目を細め、諏倭姫は吸い込まれるようにその様子を見つめた。
魔法陣が消えるのと同時に、赤ん坊の背中に生えた翼がすっと消える。
(落ちる!!)
領主と諏倭姫は咄嗟に駆け寄り、ビーチフラッグの決勝戦さながらにヘッドスライディングした。
片時も視線を離さなかった諏倭姫が0.01秒差で受け止めて抱きかかえたそれは、羽根のようにやわらかく――まるで、天使だった。
天使は暖かい腕の中で涙にぬれた目を開く。宝石みたいに瞬く紫色の瞳がこの世界で初めて逢ったのは、蒼天の瞳だった。
「君に逢えるのを、待ってたんだ」
諏倭姫は目に涙が浮かべて、かけがえのない存在を抱きしめた。
虹色の羽の天使。この子の名前は――諏倭姫は傍らにいる愛しい人を振り仰いで言った。
「名前は、『孔雀』にしよう」
腕を組んだ領主は優しい目で言った。
「いいんじゃねぇの」
次元の魔女はにっこり笑った。
「ぴったりの名前ね」
領主は諏倭姫に抱かれる我が子の顔を、用心深くのぞき込んだ。
生まれたての赤子というには少し大きいような気がしてならない。
しかし透き通るような白い肌や大きな瞳、ふっくらした頬やサクラ色の小さな口は、愛する諏倭姫に良く似ていて、この上なく可愛らしい。
神妙な表情を浮かべた紅い瞳に見つめられた孔雀は、ふわっと花が開くように笑って、父上の前髪をつかもうと、もみじみたいな手を伸ばした。
父子の姿を見守る諏倭姫の胸は、喜びでいっぱいだった。孔雀の髪は漆黒で、あどけないながらも涼しいまなじりは意志の強さを感じさせる。諏倭姫には孔雀が領主と同じ心の強さを持って生まれてきたことが分かった。
こうして二人の願いは叶ったのだ。
花見の席では、笙悟が担いできた樽酒で鏡開きの準備が整っていた。
「改めて、今日という日に間に合ってマジでよかったぜ!」
笙悟が呼びかけた。
「みんなお鏡に注目だ!これを今後の諏倭に見立てて領主夫妻とご
子息、並びに恩人の次元の魔女サンに開いてもらうぜ!READY??!!」
農夫団が拳を突き上げる。
「FOWOOO!!」
笙悟は領主、諏倭姫、次元の魔女それぞれに木槌を渡した。孔雀は諏倭姫に抱かれている。
「SET・GO・『FIGHT』で開いてもらうぜ。んじゃ、Everybody SAY・・・」
『SET!GO!FIGHT~~~!!!』
「ようこそ!新しい諏倭の若君『孔雀』!」
「YA/HOOOOOOOOOOOOOO!」
草薙の開いた口は護刃が閉めた。
笙悟は列席者一同に一礼してから樽酒を振舞った。
「こいつの名前は、『銀竜』。諏倭の水で作った『神の雫』だ」
笙悟は、諏倭に暮らし始めて間もない頃に、自分がこの地で酒を造る夢を見たと話しながら、銀竜をなみなみ注いだ枡を次元の魔女に渡した。
「ありがとう。喜んで御相伴にあずかるわ。諏倭の銀竜は一つじゃないものね。――実は、これを頂きに来た様なものなのよ」
にっこり笑った魔女は、受け取った酒を一気に飲み干して言った。
「嗚呼、生き返るわー!!まさに、命そのものね」
「あんたなら分かると思ったぜ」
笙悟は魔女と拳を突き合わせて嬉しそうに笑った。
花見の宴もたけなわの頃、次元の魔女がそろそろ帰ると言うので中締めが行われた。
「いつも突然で悪いけど、あたしはこれで失礼するわ。これからは『此処とは別のセカイ』から諏倭の平和を願いましょう」
列席者一同から拍手が沸き起こった。
「ファイから何か言うことは無い?」
次元の魔女に促されて諏倭姫が前に出た。
「魔女さん、ほんとにありがとう。これからもみんなの力を借りて諏倭を守っていきますから、どこかでオレ達を見ていてください。それから・・・オレは今とても幸せです!黒様、愛してるよ~!!」
「FUUUU~♪」
きごちなく若君を抱いた領主は銀竜を噴き出した。
大喝采の中、次元の魔女はもはやおなじみとなった魔法陣を出した。その時、用心深い領主が最後にくぎを刺しに来た。
「おい魔女。言っておくが、後から対価をよこせなんて言っても俺らは何も払わねえからな」
次元の魔女は魔法陣の中から領主に応えた。
「もう対価はいただいたと言ったはずよ。あなたたち二人からもね。・・・いいものを見せてもらったわ」
(・・・見せてもらった?)
諏倭姫の顔が蒼ざめて、領主は耳まで真っ赤になった。
「ってめえ・・・まさか!?」
次元の魔女は式服と同じくらい真黒な笑みを浮かべて言った。
「お礼に感想を言うならば『さすが諏倭の銀竜、伝家の宝刀』と言ったところね。クス」
(アッ――――!!!)
領主は銀竜を抜いた。(※もちろん刀の方です)
「 テ メ エ は・・・ 斬 る !! 」
次元の魔女は高笑いと共に時空のはざまに消えていった。
(いつもどこかで見てるわよ。お幸せに ね)
水を統べる銀色の竜神と、愛の結界に守られて、この日生まれた「愛の子」孔雀。
新しい諏倭の若君に幸多からん事を!
おしまい
♪最後までお付き合いただきありがとうございました♪