SS #3  諏倭の国再建物語  〜 愛の結界〜 上


雨上がりの澄み切った空は、どこまでも広く青い。
領主館の庭に咲く紫陽花についた滴は、陽光を浴びてきらきらと輝いている。
諏倭に人々が戻って三年目の初夏、水田も耕地も拓け、諏倭はどうにか生活できるようになった。

縁側に並んで座る諏倭姫と護刃は、庭ではしゃぎ回る子供たちを見ていた。
「みんな元気だねぇ」
「はい。みんな腕白で目が離せませんけど、私の方が元気をもらっている感じです・・・この子にも」
護刃は、そう言いながらそっと自分のお腹に触れた。草薙との間に子供を授かってからの彼女は、刀を置いて諏倭の子供たちの面倒を見ている。
その様子を穏やかに見守る諏倭姫が言った。
「護刃ちゃん、すっかりお母さんの顔になってるよ」
「奥方様ったら//」
優しげな蒼い瞳に微笑みかけられた護刃は、なんだか恥ずかしくなって頬を染めた。諏倭の領主と巫女である諏倭姫は、護刃の憧れのおしどり夫婦なのだ。


「帰ったぞ」
その声と共に、庭に三人の男が現れた。
真ん中に立つ長身の男が諏倭の領主である。日に焼けた逞しい体を包む赤と黒の鎧。その上から漆黒の外套を纏っている。隣には領主よりさらに大男の草薙がいて、反対側には小柄な正義がちょこんと立っていた。
それまで犬を追いかけまわしていた子供たちは、ぱっと顔を輝かせて声の主の元に駆け寄った。

「領主さま、セイシロウはやっつけられましたか?」
セイシロウは、このところ諏倭の人里を騒がせている凶暴なオオイノシシだった。命名は領主によるものである。
銀竜を担いだ領主が苦々しい顔で?えた。
「逃げられた。あいつぁホントに性質悪ぃ」
草薙が思案顔で言った。
「人の弱みに付け込んでくるから、罠でも張っておいた方がいいんじゃねぇか?・・・って、あの様子じゃあ、掛からねえかなぁ」
草薙に続いて、疲れた顔をした正義がこの日の捕り物の説明をした。
「セイシロウは追い詰めれられると田畑に逃げ込んだりして、なんせずるがしこいんですよ。捕まえられる気がしません。はぁ・・・」
子供たちの顔が不安に曇った。それを見た領主はしゃがんで彼らと同じ目線になると、日向の匂いのする頭に手のひらをのせた。
「まぁ、お前らは心配すんな。近いうちに必ず追っ払う」
そう言った領主の言葉は頼もしく、大きな手が優しかったので、子供たちは再び笑顔になってきゃらきゃらとはしゃいだ。
諏倭姫は笑顔に囲まれる主人を見ていた。子供に笑いかける彼の顔が好きだった。

皆の分のお茶を淹れて縁側に戻ってくると、護刃は草薙の側へ行っており、縁側には入れ代わりに領主が座っていた。賑やかな庭の様子を眺める涼しげな横顔に聞いてみる。
「黒様は、子供が好き、だよね?」
領主はお茶をすすりながら答えた。
「ああ、嫌いじゃねぇな」
諏倭姫は、かねてからの想いを思い切って口にした。
「やっぱり、子供、欲しいと思う?」
(!)
領主はお茶を吹き出しそうになった。
「そりゃ・・・物理的に、無理だろうが」
「ごめん・・・。オレ、おかしなこと聞いちゃったね」
「ったく、てめえは何べん言わせりゃ気が済むんだ」
小さく溜息を吐いた領主は、辺りをちらっと確認した。
「余計なこと考えてんじゃ、ねぇぞ」
そう言いながら妻の肩を抱き、金の髪がかかる耳元に顔を寄せる。
“俺は、今のままで十分だ ”
そう囁いた唇は、軽く頬に触れてから離れた。
(・・・)
頬を染めた諏倭姫が俯く。
こうされてしまうと、それ以上は何も、言えなくなってしまうのだ。


「領主様、奥方様、いろいろとご馳走様でした!また遊びにきまぁす」
賑やかな護刃達が帰った後も、胸の内の想いは募るばかりだった。
生粋の現実主義者である領主は、この件についてすっぱり割り切っていて、「余計なこと」とまで言う。
(それでもオレは、あきらめられない・・・)
悩み抜いた末、ついに「例のあの人」に相談することに決めた。一度腹を括った諏倭姫には誰よりも行動力があるのだ。
早速領主の着替えを置きに脱衣所に行き、湯殿から聞こえる鼻歌を確認した。
(――今しかない!)
急いで自室に戻ると、指先でうす紫色の光を紡いでつくった鏡に呼び掛けた。すると、鏡の中にあらわれた黒髪の女性――次元の魔女がゆっくりとこちらに振り向いた。つややかな長い髪が揺れる。すらりとした体に紫色の着物を纏った姿は、初めて会ったときと変わらず美しく、諏倭姫の胸には旅の仲間たちとの記憶が懐かしく甦った。
「あら、ファイ。珍しいじゃない。元気にしているの?」
「はい、おかげさまで。魔女さんもお元気そうでなによりです」
「ふふ、幸せそうね」
「そう、見えますかぁ?」
「ええ、もちろんよ。黒鋼とはうまくいってるの?」
「実は、そのことで相談があってー」
はじめのうちは言いにくそうにしていた諏倭姫が悩みのすべてを打ち明けるあいだ、次元の魔女は厳しい顔をして話を聞いていた。
「それはまず、二人で良く話し合うべき問題ね」
「やっぱり、そうですよねぇ」
そうは言っても、鏡の向こうの青年が自分に心の内を打ち明けてくれた事が、魔女にとっては何よりも嬉しかった。
「いずれにしても方法が無いことは無いのよ。あなたたちが心から望むのならば――その願い、叶えましょう」
「えっ!?」
「近々そっちに行くわ。それまでに、よーく旦那と相談なさい」
鏡の中の魔女は、ぱちっとウインクしてからすうっと消えてしまった。
(えーーー!!??)



その日の夜、横になってもなかなか寝付けずにいた諏倭姫は、月の夜空にたなびく雲の影ばかりを見ていた。胸をよぎるのは、他でもない彼に断りも無く重大な相談をしてしまった罪悪感。焦燥。一体、何と言って話を切り出せばいいのやら・・・。

青白い月光を浴びて長い時間そうしていると、隣からからすっと腕が伸びてきて、こちらへ来いと誘う。ためらいがちにその人の褥に滑り込むと、いきなり強く抱きしめられた。
「何を、考えてた?今日の事か」
低く響く声が耳元でくぐもって聞こえる。突然、愛しい人の熱に包まれて胸が苦しい。自分の心臓の早鐘は、薄い寝衣越しに伝わってしまうだろう。
「・・・君のこと、ばっかりだよ」
やっとの想いで声にすると、領主は小さく息を吐いた。
「じゃあ、あんまり遠くばっかり見てんじゃねえよ。お前が消えちまうんじゃないかと、心配になる。」
抱きしめる腕の力がさらに強くなったので、堪らなくなって胸に顔をうずめた。
「・・・ごめんね」
「謝んな」
腕の中に心地よく収まる体を抱き寄せて領主は思う。
ただ、そばにいてくれるだけで自分は幸せで、これ以上は望まない。必ず幸せにすると誓って一緒になって数年経つが、どうしたらその心は満たされるのだろうか。

イノシシを退治する程に単純なことではなさそうである。


つづく

♪ありがとうございました♪

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