#13 Bitter Sweet
しんしんと雪の降る寒い晩の事でした。
黒い外套の襟を引き上げた黒鋼は、何が待っているというわけではありませんが足早に家路を急ぎました。
すると、ちょうど湖のほとりを通り掛かった時に、がさがさと水草の茂みが揺れる音を聞きました。
黒鋼が脇に差した刀に手をかけて、用心深く音のする方を覗き込むと、そこには一羽の白鳥がうずくまっていました。
警戒心の強い異国の渡り鳥は、突然現れた黒ずくめの人間に驚いて飛び去ろうと翼を羽ばたかせましたが、脚が罠にかかっている為に飛べません。
「――ドジな奴だぜ」
しばらくジタバタしていた白鳥が諦めて大人しくなったので、黒鋼は、鳥をおどかさないようにそっと仕掛けられた罠を外してやり、雪明かりに浮かぶ岸辺を見渡しました。
暗い湖に、他の白鳥の姿は見当たりません。
ようやく自由になったはずの鳥は、何故かその場から離れず、じっと黒鋼を見上げていました。
「ぐずぐずしてねえで早く仲間を探しに行け。こんな夜に一人じゃあ、さすがにお前も寒ぃだろう」
不思議そうな目で黒鋼の顔をのぞきこんだ白鳥は、クーと啼きました。
そして、一旦、雪のように真白な翼をひろげてから、すぃと暗い湖に消えて行きました。
*************
雪は夜更け過ぎに吹雪へと変わり、風が黒鋼の住むあばら家の障子をがたがたと揺らしました。
椀の酒を呑み干した黒鋼が、そろそろ囲炉裏の火を消そうとした時に、誰かが戸を叩きました。
「夜分にごめんください。一晩お宿をお借りできませんでしょうかー?」
それは、遠くから聞こえるような不思議な響きの声でした。
訝しく思いながも、念のため刀を持って戸を開けた黒鋼は、声の主の姿に一瞬見入りました。
戸口には真っ白な振袖を着た娘が立っていました。
彼女は異国人らしく、瞳の色は湖みたいな碧色で、ほっそりした首にかかる柔らかそうな髪は、淡い金色をしていました。
そして、贔屓目無しに見てもかなりの美人でした。
「・・お前、連れはいねえのか?」
「はい、旅の仲間とはぐれてしまって困っています。今晩だけあなたのお家に泊めてもらえませんでしょうか?」
吹雪の中で一人きりの娘は震えています。
この辺りに他に民家はなかったので、他を当たれと追い返すわけにもいかず、仕方なく娘を家に上げる事にしました。
囲炉裏を挟んで向かい合わせに座ると、娘は、興味深そうにきょろきょろと狭い家の中を見回しました。
(面倒くせえ事になった。やれやれだぜ)
全く警戒心が無い相手に対して落ち着かない気持ちになった黒鋼が、しばらく何も言わないでいると娘の方から口を開きました。
「素敵なお家ですね〜」
「・・・」
あからさまなお世辞にげんなりした黒鋼は、溜息をついてから言いました。
「俺はもう寝る。お前もさっさと寝ちまえ」
「えーと、オレの名は、ファイといいますー」
「そうか。お前はそこの布団つかえ。じゃあな」
部屋の隅にひと組だけある布団を指差してそう言って、床に横になろうと外套を掴んだ黒鋼に、すかさずファイが聞きました。
「あなたの名前も教えてくださいー」
「黒鋼だ」
端的に応えるとすぐに、嬉しげに呼びかけられました。
「おやすみなさい、黒鋼様」
「気色悪いわ」
「じゃあ、黒様〜」
「省略すんじゃねえよ。黒鋼だ」
そう言い捨てて、背を向けてようやく寝ころぶと、布団を敷き終わったファイは、囲炉裏をまたぎ越して黒鋼の隣に横になりました。
「おい・・何でわざわざ床で寝るんだ?」
せっかく敷いた布団をほったらかして黒鋼の背中にぴったり寄り添ったファイは、言いました。
「こうして眠れば二人ともあったか〜いですー」
黒鋼は困惑しました。
(こいつまさか、―― 誘ってんのか?)
いずれにしてもこのままでは色々な事情で眠れそうもないので、「離れろ」と言おうとして振り返ると、すぐ間近にファイの顔がありました。
大きな瞳は優しげで、花びらみたいな形の唇は、とても、美味しそうに見えました。
そう、黒鋼が落ち着かない一番の理由は、ファイの顔立ちや姿が、とても好みだったからです。
"こんなに都合の良い展開は腑に落ちない、何か裏があるに違い無い"と、用心深い黒鋼の理性が警告しましたが、無意識に伸びた手は白い頬に触れていました。
ファイが気持ちよさげに目を閉じたので、本能に抗えず、黒鋼は吸い込まれるように、小ぶりな唇を食みました。
「あ・・」
囲炉裏の中のわずかな光を映した碧い瞳が揺れて、細い腕がするりと首に回されました。
黒鋼は、彼女の頭の後ろを支えた手を強く引き寄せて、柔らかな唇の中をさらに深く弄りました。
薄暗い部屋の中で聞こえる、舌の絡み合う水音
合間に漏れる吐息は乱れ、着物越しに伝わるぬくもりは、次第に熱を帯びました。
もう抑えが効かなくなった黒鋼は、はだけた裾からファイの着物の中に手を差し入れました。
すると、内腿を弄った手が、全く期待していなかったものに触りました。
「・・・・・・お前、これは・・・なんだ?」
黒鋼の問いに、目を伏せたファイは頬を染めて答えました。
「だって、黒様が、こんなこと・・・するから・・・」
「男かよ!!!」
(紛らわしく女みてえな着物着るんじゃねえええ!)
黒鋼は飛びのいて身を離しました。
「そうですよ。オレは黒様と同じです。今のは雄同士ではしないことですか?」
「するか!」
ファイは眉を下げてへにゃりと笑いまいた。
「それは残念ですー」
*************
次の朝、床で寝ていた黒鋼が目を覚ますと、ファイはたすき掛けで朝餉の支度をしていました。
家主が起き上がったことに気づいたファイは、ぱっと笑顔になりました。
「おはようございます、黒様。昨晩は、お世話になりました」
「・・おう」
礼を言われると、何となくばつの悪気持ちになりました。
ファイが囲炉裏にかかったなべの蓋をあけると、ふわっと湯気が立ちのぼり、いつも酒を飲んでいる椀には、熱い味噌汁がよそられました。
「お礼に食事を作りました。あったかいうちにどうぞー」
ファイの作ったみそ汁の具には真菰の根っこが入っていました。
朝食を済ませた黒鋼が、いつもの黒い着流しに着替えてから刀を脇に差すと、ファイが準備していたらしい包みを差し出してきました。
「これはお弁当です。お昼に食べてくださいー」
戸口の外まで出てきたファイは、仕事に出かける黒鋼に手を振って見送りました。
「行ってらっしゃい、黒様〜」
「・・・黒鋼だっつってんだろうが」
昨晩の雪はすっかり止んで、辺りは一面の銀世界でした。
遠くの山々はまっしろな雪化粧をしていて、深い碧色の湖では白鳥達が遊んでいました。
ひんやりした空気を吸い込んだ黒鋼は、この日の雪景色を綺麗だと、柄にもなく思いました。
♪お付き合いいただきありがとうございました♪
つづく