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ファイは、走っていた。

海辺の街。
雨上がりの石畳の匂い。

緑色の光を追いかけて、運河沿いの道をただひたすら、息を切らして走っていた。


"こっちよ!早く、早く!"

そう言って瞬く緑の光に急き立てられて、自分でも、もっと早く走れたらいいのにと、もどかしく思う。
濡れた石畳の路面は走り難い上に、片目の視界が欠け落ちている為に足元が覚束ない。


眼下の運河は工事中で、閘門で堰き止められた水のない河底では、大勢の作業夫が補修作業をしていた。
日焼けして逞しい男達は、ファイの姿に気づくと一斉に驚いた顔になった。
仕事を放り出して、河口の方を指差して見せる。

―― もうすぐ 逢える

人相の悪い顔の上に人懐こい笑顔を浮かべた作業夫達は、風変りな歌を唄って囃し立てる。

"みんな、あなたの事を待っていたのよ、金の風。あなたにだけ、私の王子様の正体を教えてあげる"

緑の光はこの上なく嬉しそうに瞬いた。

"本当の彼の役目はね、紅い海に注ぐ大河の神様の御使い ―― 水の守り人 よ"



風に混じる潮の匂いが濃くなった。

レンガ造りの街並みを抜けると、雨上がりの澄んだ視界一杯に青い海が広がった。

何隻もの船が停泊する桟橋のたもとに、黒ずくめの姿を見つけて、心がざわめく。

並んで立つ長身の男と小柄な男は、大きな図面を開いて何やら打ち合わせをしている。

自分の荷物を放り出したファイは、堤防から一気に飛び降りて転がるように走った。

潮風にたなびく黒いコートを纏った背中に向かって、声の限りに叫ぶ。

"黒鋼!"

こちらを振り返ったその人の、紅い瞳が驚きに見開かれた時、広い胸に飛び込んだ。


懐かしいぬくもりの中で、沸き上がる歓喜。

どれほど焦がれたか分からない声を、腕の中で聴く。

"生きてやがったか。 ―― 詩人"

強く抱きしめられて、息が出来ない。

もう、離れない。

離さない。



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「おい、いつまで寝てやがる」

ぼんやり目を開くと、そこには見慣れた不機嫌な顔があった。

「・・黒様・・?おはようー。」

丸い窓から差し込む柔らかな朝の日差しを頬に受けて、ゆっくり身を起こす。
そこは、トレーラーハウスの中にある自室だった。

「てめぇがいつまでも起きてこねぇと、ガキどもが心配するだろうが。もうメシも出来てんぞ」

「・・ごめん、寝坊しちゃったねぇ。すぐ支度するよー」

ピッフル国に次元移動してからは、サクラ姫の提案により、朝の食事は当番制になっていた。
ファイのベッドサイドには、ドラゴンフライ関連の資料がうず高く積まれている。



支度をすると言いながら座ったままのファイは、寝間着の胸元に手を遣った。

「夢を見てたんだー。黒みいの。」

「あぁ?」

「なんだか胸が切ないよー。オレ、夢の中の君に、恋してたみたいー。」

黒鋼は、ひどくまずいものを食べたような顔になった。

「・・気持ち悪ぃ・・!」

その表情がおかしくて、ファイは笑った。

「だよねぇ〜。」

さっさと降りて来い、と言い捨てた大柄な男は、ドア口をくぐって居間に引き上げていった。



自分でも変な夢を見たと思う。
夢の中の黒鋼は、こちらの黒鋼よりも、ずいぶん大人びて落ち着いていた。

ファイの知る黒鋼は、ぶっきらぼうで、感情をストレートに顔に出してくれるところが面白い。
そして、子供たちを気遣って自分を起こしにくるくらい、実は優しい男なのだ。


そわそわして待っているだろう小狼やサクラに済まなく思いながら、夢の余韻を残すベットから起きだした。











♪最後までお付き合いいただきありがとうございました♪

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